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黒衣の代理人

The agent of Black



「コーウェルは、ベルイム家の子息でな」
 溜息とともに肩を落としながら、ダモデイルが言った。
「チェストル……アミーナの兄だが、これと仲がよかった。アミーナとも幼なじみのように育ったのだ。チェストルが王都へ行ってからは、しばらく交流はなかったが……なぜこのようなことに」
 つい先日、喜びあふれんばかりにエクレイドを迎えた伯爵は、一晩で別人のようにしぼんでしまっていた。
 そのあまりのやつれぶりに、さすがの彼女も呆れを通り越して同情した。娘を溺愛しているだけに、衝撃は大きかったのだ。
 居心地のよい書斎へ戻ってきたダモデイルを、女騎士は手を貸して支えてやった。椅子へ着かせて、問いかける。
「アミーナのようすは、どうでした」
 ダモデイルはのろのろと首を振った。
「まったく聞き入れようとせんのだ。向こうが謝罪を申し入れるまでは、決闘は絶対に取り下げぬ、と。むしろ挑戦を投げつけてきたのはあちらのほうだ、と言って。まさか、あれほど頑固な子だったとは……女性のほうから、決闘を申し入れるなど……」
「例のないことではありませんけどね」
 決闘の申し込みに手袋を投げつける作法は、そもそも貴婦人から発したものだ。侮辱に対し、手首を痛める平手打ちのかわりに、相手の顔面に手袋を投げつけたのが始まりといわれている。とはいえ、それも同性同士のときの話で、相手が異性の場合は、声高に相手の無礼を叫び、自分の名誉を擁護してくれる男性に、挑戦させるのが普通だったが。
「自分が、常識に外れたことをしたのはわかっています」
 エクレイドが会いに行くと、アミーナは鳶色の瞳に決然とした光を宿して言った。
「でも、どうしても我慢できなかったのです。あんな……あんな根拠のない中傷で、タートの名誉を傷つけるなんて。……タートは世に誇るべき剣士であると聞いています。コーウェルが、真実をもってしか己の非を認めないと言うのなら、自分の目で確かめればよいのだわ」
 語気荒く言い募った後で、しかしアミーナは、不意に不安げに瞳を揺らした。
「……私、勝手なことをしてしまいました。そのことも、わかっています。愚かな娘だと、お思いになったでしょう?」
「まあ、少しね」
 恥じるようにうつむく少女に、エクレイドは正直な声をかけた。
「でも女性には、そのくらいの愚かさは必要なものなのかもしれません」
 元気づけるように肩を叩き、女騎士はその場を辞したのだった。
 決闘の日取りは、舞踏会の明後日に決められた。場所は、両家の中間地点にある小高い丘である。
 丘の上には、色とりどりの天幕が張り巡らされ、さながら大規模な園遊会でも催されるかのようだった。
 マンサス伯の令嬢とベルイム家の子息の決闘は、近隣の貴族たちの話題を一色に染め抜いていた。裕福ではあるが退屈な地方貴族の暮らしには、今回の一件は、願ってもない暇つぶしなのだった。
 薄水色の花が咲き乱れる丘を、エクレイドを乗せた馬車はゆっくりとのぼっていった。
 決闘当日の天気は快晴で、心地の良い風が待ち並ぶ高貴な人々の衣服の襞をそよがせている。舞台は完璧で、これまでにない見物になりそうだった。






 マンサス伯爵家の馬車から降り立つと、見物人の視線は一斉に女騎士に注がれた。
 決闘場には、すでに両家の主だった顔触れが集まっていた。審判台の右に、アミーナ以下モンソール家の面々。左に、コーウェルをはじめとするベルイム家の人々が並んでいる。
 観覧席に少年の姿を見出して、エクレイドはほっとした。退くことを知らないような少年と、直接闘うようなことにでもなれば、この場を丸く収める自信がなかったのだ。
 と、いうことは。
 エクレイドは、真ん中に広く空いた空間に立ちながら、考えた。向こうも代理人を立てたということになる。まだ到着してはいないようであるが、名誉をかけたのだから、それなりの人物を連れてくるはずだ。
 エクレイドは俄然、興味がわいてきた。元々、闘うこと自体は嫌いでないのだ。剣を杖のように身体の正面に立てて、彼女は相手を待った。
「あれは、まさか……神殿騎士貸与剣?」
 女騎士の帯びてきた飾りつきの剣を見て、コーウェルが呻いた。信じられないように、彼女の手許を凝視する。
「まさか、騎士剣拝領者だというのか……?」
 コーウェルの呟きを聞いたアミーナが、父親を振り返った。ダモデイルは、重々しくうなずいた。
「タート・エクレイドはライファラス神殿騎士剣、〈我が敵を赦し給えローラ・カラトス〉の拝領者だ。その剣技は、ときとして騎士長に勝るといわれておる」
 その声が届いているのかいないのか、コーウェルの顔にはさまざまな感情の切片が浮かんでいた。審判台ごしに、アミーナが囁いた。
「真実を認めるなら今のうちよ、コーウェル。あなたがわかってくれさえすれば、私もそれ以上のことは望まないわ」
 コーウェルは我に返ったように、可憐な敵対者を見つめた。表情を厳しくし、首を振る。前を向いたときには、すでに少年の表情は落ち着きを取り戻していた。
 澄み渡る空を見上げていたエクレイドの耳が、そのときふと、大地を蹴る馬蹄の響きをとらえた。
 彼女をとりまく貴族たちが、ベルイム家の方角を指し、ざわめきはじめた。
 何かがやってくる。馬だ。おお、あれは。
 蹄の音が大きくなり、跳ね上げる小石の転がるさままで聞き取れるほどに近づいた。興奮した話し声をあげる貴族たちの、すべてが見守るなか、その騎影は一気に丘を駆け上がり、エクレイドの前に姿を現した。
 今度は、呻くのはエクレイドの番だった。
 葦毛の乗馬の背から、身軽くとびおりた人物の風体を目にして、彼女は、舌を抜かれたように言葉を発することができなかった。
 まるで獅子のたてがみのような、赤褐色の髪が印象的な男だった。背は高く、丈に見合うだけの筋肉が充実している。いかにも戦士然とした荒らかな顔は男らしく、弱気の欠片も存在しない。
 その男が、襟元から爪先まで、全身黒づくめの衣装を身にまとっているのだ。
 それは、エクレイドの衣服と趣を同じくする、神仕える騎士のための装束だった。胸元にぶら下げられた黄金のメダルの意匠が、男の素性を明確に告げていた。
 戦烈神ガイユの神殿騎士は、エクレイドに相対すると、不敵に笑った。
 彼の黒衣の背には、長大なガイユ神殿騎士剣、〈我が敵を屠り給え〉……ローラ・ディーテンが結わえつけられていた。






 戦と勝利、炎と魂の燃焼を司る神、それが戦烈神ガイユである。
 その象徴色を用いた騎士服エルートの黒は、戦場で敵として相まみえたものにとって、圧倒的な力で迫り来る破滅の翼であった。六柱神神殿で非常の際に、至高神官の命によってのみ組織される神殿騎士『団』の、武力の中核をなすといわれるガイユ神殿の騎士は、全員が鍛えに鍛え抜かれた戦士であることが知られていた。
 黒衣の男は、エクレイドに向かって踏み出してきた。平服とはいえ、二級の礼装をかねたつくりの騎士服姿でさえ、甲冑をまとっているかのような重厚さを感じさせる男であった。
「ウェブロス大神殿のエクレイド殿……だったな?」
「その通りだ、ええと……騎士殿タート
 女騎士の答えに、男はにっと歯を剥いた。そうすると、驚くほど人なつこく見える。
「ロアドだ。ケルクのガイユ大神殿に所属している。ライファラス神殿の誇る拝領者に会えて、光栄だ。こんな機会でもなければ、他の神殿の騎士と刃を交えることなど望めんからな」
「はあ」
 応じながら、エクレイドは一瞬、ここに何をしに来たのかわからなくなりかけた。思わず、問い返してしまっている。
「交流試合があるじゃないか。少なくとも年に二回は、その機会があるはずだが」
「どこの騎士も、おれたちと試合うのを嫌がるのさ」
「なぜ?」
 ロアドが広い肩をすくめる。
「俺たちは大体が荒っぽいからな。いちいち試合のたびに、どっちかの鎧を壊してしまう。俺たちは構わんが、闘うたびに甲冑を修理新調させられる他の神殿の騎士は、たまったものじゃないんだろうよ」
 冗談とも本気ともつかない返事をしながら、ロアドは背の大剣をおろした。
 自然、エクレイドの目はそれに吸い寄せられた。
 長さは、エクレイドの肩ほどはあろう。柄の握りは拳四つ分の余裕をもって造られている。男の体躯にふさわしい、大きな両手剣であった。
 もしも自分が入っていたのがガイユ神殿であったなら、拝領者にはなれなかっただろう。エクレイドは考えた。あの剣を振りこなすには、相当の修練と、何より、膂力が必要だ。
「それじゃあ、始めるとするか。騎士剣の準備はいいか、タート・エクレイド」
 ロアドが、いきなりそう言って鞘を捨てたので、エクレイドはびっくりした。
「まさか、騎士剣を使うつもりか?」
「そうさ。あんたも、そのつもりで持ってきたんだろう?」
 エクレイドが騎士剣を携えてきたのは、離す必要が生じるまで手許に置いておく、聖剣を預かるものとしての習慣のためだった。
「それは、さすがにまずいんじゃないかな」
 言って、彼女は騎士長や神殿長が頭を抱えるさまを思い浮かべた。神殿騎士同士が、決闘――それも、世俗の問題を理由にして行うというだけでも、充分に厄介なことになりかねない。そのうえ騎士貸与剣を使うとなると、まず一騒ぎ起きるだろう。
 第一、危険を伴う使命に赴くときならいざ知らず、交流試合のような公式の場でさえ、人間を相手にした勝負に、神聖なる理力の秘められた貸与剣を用いることは憚られているのに。
 ロアドは、少し考えるそぶりをみせた。
「……作法では、決闘の武器は申し込まれた側が決められるんだったな」
「確か、そうだな」
「なら、俺は騎士剣を選ぶ。こいつを選んではならないという決まりはなかったはずだ。そして、決める側は、何を選んでも構わない」
「確かに、そうだが」
 黒衣の騎士は、満足げに笑った。
「だったら、問題はない。俺たちは伝統の作法に従っただけだ。言ったろう、こんな機会でもなければ、他の神殿の、それも拝領者と闘うことなど望めん、と。俺は好機を逃すつもりはないぜ。我が神にかけて、挑むことをやめたときは、この俺が死ぬときだ」
 その簡潔だが強く、曇りのない信条に、彼女は共感と好感を覚えた。
 強引な理屈より何より、己の生涯を闘うことにかけた、過ぎるほど前向きな姿勢に、圧されたのだ。
 そう思うや、エクレイドはきっぱりとうなずいた。自分の気持ちに正直に。一度決めたことのためなら、どんな障害をも厭わないところは、彼女の中にも共通してある気質だった。
「わかった、タート・ロアド。騎士剣での勝負に応じよう。わたしはモンソール家令嬢の、マンサスのアミーナの名誉にかけて、全力で闘う」
「俺も、ベルイム家のコーウェルの代理として全力で闘う。そろそろ始めようぜ。お客さんたちが待ちくたびれてる」
 決闘代理人たちの、奇妙な、しかし重大な交歓は、見物人たちに興奮を巻き起こしていた。まさか、神殿騎士同士の闘いが見られるとは。しかも、噂に聞こえた聖剣を……。
 ざわめきのなか、ローラ・カラトスを抜きはなったエクレイドは、衆目によく見える位置、頭上に掲げた。
 剣身が陽光を反射し、それを浴びた高貴な人々は、自然に静まってゆく。
 太陽神に剣を捧げた彼女は、さっぱりとした顔で、アミーナの正面に当たる位置に戻った。
 場を丸く収めるという考えを、彼女は捨てた。結果が出てから、どうするかを決めればいい。
 向かい合った二人を見、審判台から、勝負の見届け人に選ばれた老アドレン卿が、両家の人々に作法に則った問いかけをした。
「ベルイム家のコーウェル殿、モンソール家のアミーナ殿への挑戦を取り消すかね?」
「いいえ」
 前を向いたまま、コーウェルは答えた。次いでアドレン卿は、緊張して瞳を光らせている少女に、問うた。
「モンソール家のアミーナ殿、ベルイム家のコーウェル殿への挑戦を取り消すかね?」
「いいえ」
 乾いた声で、アミーナは答えた。
「それでは、挑戦には剣で、剣には剣で応えるのみ。名誉はそれによってのみ保たれるであろう。――両家の代理人よ、始められよ」
 観衆が静まり返る。
 エクレイドは、〈我が敵を赦し給えローラ・カラトス〉を面前に掲げた。ロアドも、〈我が敵を屠り給えローラ・ディーテン〉を捧げる。
 二人は左手を剣身に添え、音をたてて刃を返した。神殿騎士の剣礼の、最後の手順を同時に終える。
神よ、御加護をローラ・エイメン!!」
 高らかな唱和とともに、決闘代理人たちは、互いの剣風の中へと身を投じていった。
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