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来る!!
凄まじい勢いで、黒衣の騎士はローラ・ディーテンを振るった。鉄の鎖も糸のように断ち切ってしまうだろうその横薙ぎは、左から、ライファラスの女騎士の胴体を狙って繰りだされた。
飛び退こうとする反射を、エクレイドは殺した。彼女は身体をねじ曲げるようにして、大剣の切っ先ぎりぎりの位置で反転した。
見物人たちの間に、悲鳴と混乱が広がった。ガイユ神の騎士剣の先からは熱風がほとばしり、優雅な貴族たちの観覧席を直撃したのだ。日除けの天幕や帽子があおられ、激しくはためく。
エクレイドの身体の上でも、それは同じだった。火傷するような熱の塊が、左脇腹をえぐった。騎士服が裂けたのがわかる。
剣尖はごくわずか、彼女の身体をかすめたに過ぎない。だが、灼けた鉄に触れたようなひりつく痛みが、一瞬彼女の知覚を揺さぶった。
エクレイドは踏み出した。否、飛び込んだ、といったほうが近い。長大な両手剣を振り抜いたロアドとは、その剣身の長さと等しい距離しか離れていない。
完全に無防備になった黒衣の男の右側面を、エクレイドはとらえた。刃を返したローラ・カラトスの剣の平が、ロアドの手首に向かって打ち下ろされる。
流星の光芒のような、金属のきらめきが人々の目に、残影となって映るばかり。そういう速度で放たれた一撃は、重い音をたてて男の腕を、その剣を、地面へと叩き落とした!
ガイユの騎士は、これほど近づいていなければ聞き取れなかっただろう、低い呻きをもらした。
エクレイドの剣は、太陽光をはじく鋭い直線となって、彼の喉元に突きつけられていた。
「そこまで! 勝負はあった!!」
老アドレン卿が立ち上がり、闘いの終わりを宣言した。
「勝者はモンソール家のアミーナ殿の〈名誉の代弁者〉、すなわちすべての名誉と権利はアミーナ殿のものだ」
わっ、と歓声がわいた。
決闘場を取り囲む観覧者たち、そのすべてが一斉に、目にした結果に興奮の声をあげているのだ。
「……無茶をしやがって」
ローラ・カラトスを鞘に納めたエクレイドに、右手を押さえたロアドが言った。
「後もう半歩でも避け損なってたら、あんたの内臓は炭になっていた。貸与剣の剣圧はよく知ってるはずだろう?」
「まあね」
赤く焼けかけた肌を露出した脇腹に手をやり、エクレイドは肩をすくめた。空気に触れると、疼くような痛みがある。
「だけど、あれ以上さがったら間合いを離しすぎて、懐には飛び込めなくなっていただろうから」
ロアドはエクレイドを凝視した。
数瞬の間そうして、彼は……はじけるような笑声をあげた。
「気に入った!! いい度胸だ。我らガイユの子の、兄弟にこそふさわしい。……『我が兄弟』、エクレイド」
黒衣の騎士は、おそらく、彼らしいといえるのだろう豪放さで、エクレイドの背中を叩いた。
騎士剣をそれぞれ落ち着けると、二人は審判台へと向かった。
代理人たちが近づいてくるのを見て、真っ先に動いたのはアミーナだった。小柄で可憐なこの貴婦人は、面を悲愴なまでに歪めて、己の最初の騎士に飛びついた。
「タート・エクレイド!! ああ、何てことなの。お怪我は、お怪我は大丈夫なのですか……!?」
すがりつくようにして傷をさぐる少女に、エクレイドは苦笑した。肩を抱くようにして、なだめにかかる。
「どうってことはありませんよ、アミーナ。とにかく落ち着いて」
「……タート・ロアド。まさか、あなたが負けるなんて」
女騎士が貴婦人をあやしている傍ら、そのようすから視線をそらしたコーウェルが、己の代理人に呼びかけた。
ロアドはローラ・ディーテンの柄を持ちあげ、勝利者を指す。
「拝領者同士の闘いだ。何が起こってもおかしくない。……タート・エクレイドの実力は、今見たとおりだ」
コーウェルは険しい目を、再び、赤衣の騎士と取りすがるアミーナの姿とに向けた。そしてやがて、諦めたように首を振ると、彼は苦々しい表情で二人に歩み寄った。
「……タート・エクレイド」
アミーナが、はっと振り返る。鳶色の瞳が見守るなか、コーウェルは噛みしめるようにして言った。
「あなたへの非礼を詫びる。あれは、ゆえのない侮辱だった。あのときの言葉のすべてを、私は撤回する」
「コーウェル……」
アミーナが、心の緊張の解けた顔で、少年貴族を見上げた。表情に、晴れやかなものが広がる。
「それから、アミーナ、きみにも。きみの大事な付添人を……騎士を、侮辱して、すまなかった。……許してほしい」
「いいえ、……いいえ、コーウェル! あなたがわかってくれたのなら、それでいいの。私は……」
コーウェルは、努力して浮かべたことがわかる微笑みを返した。
「……許してくれるかい?」
アミーナは、うなずいた。
「……ええ、あなたを許すわ、コーウェル」
「……そうか」
コーウェルは呟いて、背中を向けた。
エクレイドを巻き込んだ一連の騒動は、ようやく丸く収まろうとしていた。
だが、黙って立ち去ろうとしているコーウェルの前に、黒衣の男が立ちはだかった。
「……タート・ロアド」
「コーウェル、まだ精算は終わっていない」
ロアドはそう言うと、目線でエクレイドを示した。
「タート・エクレイドの傷の責任を、おまえは負うべきだ」
「ロアド……」
自分を『兄弟』と呼んだ男に、エクレイドは反駁しようとした。が、ロアドは意味ありげな目配せをして、コーウェルに視線を戻した。黙っていろ、ということらしい。わずか、迷ったが、結局彼女は口をつぐんだ。静観を決め込む。
「傷の責任?」
「そうだ」
いかにも重々しげに、ロアドは答えた。
「治療次第によっては一生痕が残る傷を負わせたんだ。直接そうしたのは俺だが、俺はおまえの代理人として闘ったんだからな」
コーウェルは、当惑したように、派手に露出したエクレイドの腹部を見遣った。
あまり長くそうして思案しているので、ついに、アミーナが両手を広げて、二人の間に割り込んだ。心なしか、頬に朱がのぼっている。
「失礼よ、コーウェル。女性の肌を、そんなにしげしげと見つめるなんて」
「あ、ああ、失礼……」
コーウェルは、謝りかけて、はた、と動きを止めた。ぽかんと口を開けて、女騎士を見上げる。
次の瞬間、少年貴族の顔は、染料でも使ったように真っ赤になった。彼は意味をなさない言葉をうわごとのように呟きながら、面を伏せた。
「申し訳ありません、タート・エクレイド」
やたらな早口で、彼は辛うじてそう言った。
「……コーウェル?」
怪訝そうにのぞき込むアミーナの視線を避けるようにうつむき、彼はもう一度、謝罪の言葉を口にする。
「本当に、申し訳ない。とんだ勘違いでした。……失礼、アミーナ」
そう言い終わると、コーウェルは、くるりと踵を返した。逃げるように歩き去っていく。
茫然と立ちつくす二人の女性に向かって、ロアドは太い笑みを浮かべた。それは、最初からすべてを知っていたものが、あるべき姿におさまった事象を確認したときに浮かべる、満足そうな笑いであった。
「コーウェルはな、惚れてるのさ。マンサス伯のあの令嬢に」
ケルクへ続く街道を臨む丘の上で、ロアドが言った。
数日の間マンサス一帯を騒がせた決闘は無事に幕を閉じ、試合場からその足で大神殿へと戻るロアドを見送りに、エクレイドは一人、彼とともに馬を走らせていた。
戦烈神ガイユの騎士には、〈挑戦のための放浪〉が許されている。誰か闘いたい相手なり、目的なりがあれば、その望みを果たすため、神殿を離れ、旅に出ることができるのだ。
ロアドも、そんな旅の途中だった。ケルク大神殿からの召還を受け、放浪を切り上げてついた帰路、一夜の宿を求めて立ち寄ったベルイム邸で、彼は決闘代理人の依頼を受けたのだった。
「あんたに会う前から、おおよその見当はついていた。若い男の、それも女がらみのもめ事の原因なんて、そのくらいだからな。どこから見ても立派な貴公子としか思えないあんたに、嫉妬したのさ」
「……なるほど」
ようやく合点のいったエクレイドは、憮然とした溜息をついた。そうだとすれば、初対面の時からのコーウェルの態度にも説明がつく。己の容姿について充分な自覚がありながら、……いや、あるがゆえにいちいち釈明などをしない彼女の習慣が招いた、誤解だったというわけだ。
「まあ、コーウェルにはいい教訓になったろう。安易に人を外見で判断するとどうなるか、っていうな。……傷の具合はどうだ?」
エクレイドは脇腹に手を当てた。火傷に特有の、あのひりつくような痛みは、すでにない。
「あなたの術が効いたみたいだ。多分、ウェブロスでもう一度治療を受ける頃には、痕も残ってないだろう」
「そいつはよかった」
ロアドは歯を見せて笑う。
「あんたを傷物にした責任をとれといわれても、俺は困るからな」
つられて笑いながら、エクレイドは、ひとつだけ疑問に思っていたことを口にした。
「しかしロアド、あなたはいつ気づいたんだ? ……つまり、わたしの性別についてだけれど。それとも、最初から知っていたのかな」
「あんたの名前は、ずっと前から知っていた。あんたが拝領者だってことも。ガイユ神殿には、そういう情報は逐一流れてくるからな。性別までは、気にしたことはなかったが。でも、あんたが女だってことは、一目見ればすぐにわかったぜ」
「へえ!」
エクレイドは感嘆の声をあげた。
「そんなことを言われたのは初めてだ。すごいな、どうしてわかったんだい?」
こともなげに、ロアドは断言した。
「鍛えられてはいるが、あんたの身体の造りと動きは、微妙に男のものとは違う。当然といえば当然だが……まあ、自分の目を疑いはしたな」
黒衣の騎士はそこまで話すと、天を仰いで葦毛の馬の手綱を絞った。
「さて、そろそろ出発するか。でないと日が暮れるまでに旅籠に着けんからな。説教をくらいに戻ると思うと、ケルクの門を潜る気も萎えるもんだが」
「お互いさまだな。あんな大勢の人の前で騎士剣を振るってしまったんだ。へたをしたら至神殿に呼び出をくらいかねない」
平気な顔で悲観的な発言をする女騎士に、ロアドは大げさに身震いした。
「勘弁被りたいぜ。そのときは、相手がガイユ騎士だったことを強調しておくんだな。勢いと成りゆきでことを派手にするのは俺たちの癖のようなもんだ。真面目に反省するより、かえって呆れて諦めてくれるかもしれんぞ」
そんな会話を交わしながら、二人の表情に切迫したものはない。ロアドは自分でそれを望み、エクレイドは自分の意思でそれを受けたのだ。納得の上の結果であった。
黒衣の男は、エクレイドのほうへ向き直ると、居住まいを正した。改まった口調で呼びかける。
「タート・エクレイド、機会があったらまた会おう。あんたほどの騎士になら、ケルクの大門はいつでも開かれるだろう。近くに来ることがあったら、ぜひ寄ってくれ。俺は、もう一度あんたと闘いたい。……今度は、違う武器でな」
「わたしもだ、タート・ロアド。あんなに真剣に闘ったのは久しぶりだ。……そうだな、楽しかった。また会いたいな」
二人は馬上で握手を交わした。
指がほどけると、ロアドは手をひるがえし、乗馬に鞭を入れた。葦毛が、勢いよく走りだす。
そのときふと、考えたことがあって、エクレイドは黒衣の背中に大きな声を投げかけた。
「ちょっと待ってくれ! もしもあなたがわたしの性別をコーウェルに教えていたら、あんな大事にはならなかったんじゃないか?」
果たして、大男は振り返った。
馬上で器用に背をひねって、彼女に負けない大声で叫びかえす。
「言っただろう? 好機をみすみす見逃すような真似はしない、と! それが俺たちガイユの騎士の、第一の信条なのさ」
ロアドの唇に掃かれていたのは、ふてぶてしい、いたずら小僧の微笑であった。
駆け去る騎影を見送るエクレイドの口許に、ふと、同じような笑みがわいた。爽快な気持ちで、女騎士は、誰もいない野辺に高く笑い声を響かせた。
この日、彼女は黒衣の騎士の在りようを知り、そして一人の友人を得たのだった。
ウェブロスに、コーウェルとアミーナの婚約の報が届くのは、それから二ヶ月を経た後のことである。