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貪欲なるものの名は

The name of the avaricious one



 翌朝、三人はソベルの外門を潜り出て、街道を西へと進んだ。
 ノアルの所有する男爵領は、『南の西サテオル=イリュ』へ続く道を、途中で外れた先にあった。
 早朝、開門とともに出発した一行は、昼過ぎにはそののどかな風景を望める場所へとたどりつくことができた。
 モントは小さいが、豊かな土地であるようだった。野道の左右に広がる畑は、収穫の時期を控えて、行き届いた手入れを受けている。あちらこちらで仕事にいそしむ農夫たちは、轍の刻まれた地面を蹴る、蹄の音を聞きつけるや顔をあげ、先頭の鞍上におさまった、派手な帽子をかぶった彼らの領主に素朴な挨拶を投げかけた。
 いちいち気さくに応じるノアルは、ごく仕えやすい主なのだろう。
 村囲いの向こうに見える家並みは古過ぎもせず、新し過ぎもしない。家屋を補修する余裕があり、また頻繁に失うような目に遭うこともないというしるしだ。北部のように激しくはないにせよ、この辺りも、現在王国を編み目のように覆う、王権を巡る複雑な争いから無関係ではないはずなのだが。
「何、私はそういった生臭い権威や栄光に、興味がないだけなのですよ」
 エクレイドが訊くと、男爵は朗らかに笑って言ったものである。
「それに、私の頭は愛する収集品のことでいっぱいですし、諸侯の目に留まるには所領も小さすぎます」
 村を通り過ぎて野道が小径になり、木立が林に、林が森に変わりかけるころ、神殿騎士たちの目の前に、背の低い石塀が見え始めてきた。
 分厚い木戸に取り付けられた鉄の環を鳴らし、狭い門を開かせるノアルの後に続いて中に入ると、北に一つの塔を備えた、石造りの館がそびえ立っている。
 こここそが、王国男爵ノアルの、大事な王国なのであった。
「さあ、お二方。どうぞおいでください」
 年老いた馬丁に乗馬を任せると、彼は騎士たちを差し招いた。
「お帰りなさいませ、旦那さま」
 館の入口で、やはり初老の域に達した家令が、主を出迎えた。
 彼は突然の来客に驚いていたようだった。
「お客さまでございますか?」
「そう、ライファラス神殿の神殿騎士、タート・リンドグレンとタート・エクレイドだ。丁重なおもてなしを頼むぞ」
「それは……」
 家令は不可視の接点を探すように、主と騎士たちを見比べた。
「ようこそおいでくださいました、騎士さまタート。……ところで旦那さま、ラトはご一緒ではないのですか?」
「ああ」
 男爵は頭をかいた。どうやら供に連れていた、従僕のことらしい。
「ついつい気が急いて、諸々の荷物ごと、置いてきてしまった。そのうち、戻ってくるだろう」
 諦めたような苦笑を浮かべながら、初老の従者はうなずいた。
「あれも慣れておりましょうからな」
 軽い食事の準備を申しつけられた家令はさがり、二人の騎士は、男爵の先導に従うまま、館の階段を上がっていった。
 ホールを中心とする一帯には飾り気がなく、いたって静かなものだった。家令以外に迎えに出てくるものもない。歩きながら、エクレイドは尋ねた。
「ご家族はいらっしゃらないんですか?」
 館はさほど大きくはないが、男爵一人が住むには広い。三十半ばといった風体のノアルには、親兄弟なり妻子なりがいても、何らおかしくはなかった。しかし家族がいるにしては、使用人の気配が少なく感じられる。
「ええ。両親は早くに〈死者の住まいニレム〉に旅立ちましたし、理解ある伴侶というものはなかなかに見つからないものです」
 館は二階から、直接北塔につながっているようだった。
 廊下の行き止まりの壁に潜り戸があり、そこから伸びる短い通路を行くと、塔の螺旋階段の短い踊り場に、直接ぶつかる造りになっている。
「こちらです」
 ノアルは二人を振り返ると、今度は階段を下へ降りていった。
「書庫は地階にあるのです。塔の上は、そこから持ち出してきた書物を堪能するための部屋になっておりましてね」
 分厚い扉に据えつけられた真鍮の取っ手は、幾度とない出入りによってすり減っているようにも見えた。内開きのそれを押し開け、男爵は騎士たちを中へと招き入れる。
「へえ……」
 一面に敷かれた絨毯を踏み、エクレイドは部屋の中央に歩み出た。書架の数はもはや壁を覆いつくさんほどで、古びた紙と皮特有の黴っぽい匂いが、暗い室内に充満している。
 扉の脇に垂れ下がった紐を男爵が引くと、天井近くに横長に造られた窓を塞いでいた木戸が開いて、外の空気と、ごくわずかな光が入り込んできた。
「湿気を逃がすための窓なのですよ。書に直接の日照は、刺激が強すぎるのです」
 ノアルは専ら女騎士に向けて説明しながら、側の小卓に備えられた角灯に手を伸ばした。
「今、灯りをつけます」
「……いえ、私が」
 最後尾で沈黙を保っていたリンドグレンが片手をあげた。左手の指を小さく動かし、口中で祈りの言葉を呟く。
「――〈神よ、御加護をローラ・エイメン〉」
 その一瞬後には、書庫にもうひとつの太陽が生まれていた。卓上の角灯それ自体が、強くまばゆい光を放ちはじめたのだ。
「おお、これは……」
 後ずさりながら驚異の目で光源を見つめる男爵に、青年騎士が言う。
「これならば、書物を傷めることもないでしょう」
「……ライファラスの御恵みですか。いやはや……」
 明るくなった部屋の全景を視界に収めると、リンドグレンは抑えきれない嘆息をもらした。そうしてからようやく、間近な書架へとゆっくり近づいていく。
 魅入られたような真剣さを浮かべている相棒の眸に、エクレイドは苦笑した。
 男爵の書庫はよく整理されており、高くとられた天井に達するばかりのそれぞれの棚も、充実しているようだった。規模は小さいものの、ウェブロス大神殿で彼の私室となっている、書庫塔の一室にもひけはとらないのではなかろうか。
「必要なものは揃いそうかい?」
「……前王国時代の――『カミルの覚書』があるのか。こちらは、オレーン人の残した記録の複製だな」
「この部屋に収蔵しているのは、いずれも重大な資料性と価値を持つ古書ばかりでして」
 手にとって、一つ一つの内容を確認せんばかりのリンドグレンのようすに、男爵は満足そうである。
 一般的に言って、書物というのは高価なものだ。本に対してそのていどの認識しかないエクレイドには、そういう意味では、どれもこれも特別なところのない似たようなものに思えたのだが。
 彼女は腰に手を当てて、辺りを見回した。
「もっと軽い読み物なんかは置いてないのかな?」
「もちろんありますとも。寝心地のいい長椅子と、クッションが備えつけられている上の書斎に。お望みなら、ご自由にお読みくださって構いません」
 ノアルは破願した。
「さて、では、昼食をとったら早速始めましょうか。過去との距離は日々ひらいてゆくばかり。時間はいくらあっても足りないでしょうからな」






 それからというもの、男爵とリンドグレンはすっかり塔の住人になってしまった。
 二階の書斎と、書庫との間を往復する以外には、一歩も外に出ないありさまで、家令のセスバルが細やかに世話をしなければ、時が流れていることにすら気づかないでいただろう。
 寝食さえ忘れがちな二人とはうってかわって、退屈を極めたのはエクレイドだった。
 最初の半日こそ、かろうじて書斎で過ごしたものの、片手だけで食べられる実に機能的な晩餐の後は、さっさと館に逃げ出した。二日目は端から、あてがわれた客室で初老の家令を話し相手にしたり、彼が忙しそうにしているときは、書斎から持ち出してきた『軽い読み物』を紐解くことで無聊を慰めることに決めたのである。
 もともと支配階級の生まれであるエクレイドは、文字には疎くなかったし、本を読むのも嫌いではなかった。ただそれも、普段自分が用いる言葉で記された、ややこしくないものに尽きる。
 読書自体は嫌いでなくとも、それが学問だの勉強などという単語に関わってくると、とたんに頭を働かせる気がなくなってしまう彼女である。選んだ本はおとぎ話や古い伝承を元にした英雄物語など、単純に楽しめる内容のものがほとんどだった。
 その、選んできた一冊のなかに、例の『デリカ=レイ』があった。
 題名は、現代風に直すと、『光の書』とでもいうような意味らしい。本来、古代の歴史などといった大仰なものには興味がないのだが、そこにあるのが相棒の言葉だと思うと、不思議と手にとってみる気になった。
 どんなに難解な話でも、求めればわかりやすく噛み砕いて説明してくれるリンドグレンの訳文は、思ったよりずっと読みやすい。そうして理解の準備が整ってみると、これは意外と面白い書物だった。
「その赤表紙は、旦那さまご愛読の史書でございますね」
 正餐の時間にも一つところに集まらない主と来客に、慌てずそつなく対応しているセスバルが言った。書斎組を訪れた後、寝台に転がったまま大人しく本の頁をめくっている女騎士に、かの『片手用の』昼食を供しに来たところである。
 エクレイドとこの初老の家令は、彼女の飾らない振る舞いのせいか、すでにずいぶんと仲が良くなっていた。香ばしく焼けた肉とソースの匂いに引き寄せられながら、エクレイドはうなずいた。
「読んだことがあるのかい?」
 セスバルはとんでもない、というように首を振った。
「申しつけで、書物の整理をすることがたびたびございますので。さすがに、神殿騎士ともなると皆さま、高い教養をお持ちでいらっしゃるのですね」
「まさか!」
 エクレイドは笑い、赤皮の背表紙を指で弾いた。
「それは、読み書きは一応できるけれどね。それさえできれば案外易しいようだよ、この本は。歴史といっても古すぎて、それこそ神話やおとぎ話じみているんだ」
 『デリカ=レイ』に記されている歴史は、現在からさかのぼること二千五百年以上の昔。神殿で用いられている、神学暦が制定された前後の時代のことである。
 神学暦元年とは、それ以前に現界を領していた〈旧悪の三神〉を放逐した〈六柱の神々〉が、新たな〈リィン〉を布いた年をいう。
 そんな具合だから、記述の内容は騎士見習いだったころに受けた授業で、教練係の神官ファリスから聞いた神学の講義と、あちらこちら重複していた。
 旧神たちを信奉する都市国家で起こった、陰惨な争いの記録や、魔人と呼ばれるような力を手に入れた神官の話。
 太陽神ライファラスの降臨、新旧の神々の、闘いの模様であるとされている、天変地異の描写。
 至峰ホルムの山頂で、ライファラスの声を聞いたという初代至高神官アンデュリスアーヌデュリスが、至神殿プラセルを造りあげたくだりなどは、この時代で最も有名な逸話だ。
 そして古の、ラルギネア人の始祖が、最初の国家を築いたところで、この書の歴史は終わっている。
 ソベルの宿でリンドグレンが説明したように、事実として認識するには、少々壮大すぎるところがある。無論、中にはエクレイドが読み飛ばしてしまいたくなったような、きわめて実際的な記録をまとめた部分も多かったのだが。
 しかし、そういった浮きあがりぎみの『史実』も、まったく馬鹿にしてしまうわけにはいかない。ことに、まがりなりにも聖職者の立場にあるエクレイドにとっては、そうだ。
 旧時代――神殿でこのように表現されるのは、六柱神降臨以前の時である――の出来事に関する資料というのは、非常に少ない。聖職者は神学の一環として、創世の時代からの神話を学ぶが、旧い時代の伝承はあいまいで大まかなものでしかなかった。神殿でさえそうなのだ。一般の信徒たちになると当然、そのあたりの知識は無に等しくなる。
 彼らが知りうるのは、先祖代々寝しなに親から聞かせられてきた、悪鬼の物語だけだ。
 悪鬼ルエング
 〈死せる法則に従いしもの〉、〈無明の存在〉と渾名されるそれは、神殿の定義では『旧悪の三神の僕であり、すでに廃されたその〈法〉にいまだ従う、異形の存在』ということになる。おとぎ話では単純に、理を外れた魔物やあやかしを指し、またはそれらに魅せられた人間をも範疇に含むだろう。
 『デリカ=レイ』には、その、悪鬼にまつわる事件を集めた項目も立てられていた。信憑性についてはともかくとして、なるほど貴重な文献といえる。
 自然、彼女が最も興味を持ったのはこの章、特に『九者』と冠される九体の魔性の存在に関わる記述だった。
 旧神の最も強力な配下として、それぞれに名を持ったこの悪鬼たちは、エクレイドが読み終えた歴史部分だけでも、ところどころに登場している。
 奸計をもって四つの都市の長を狂わせ、滅ぼしたストロエ。
 一千人の勇者をたぶらかして廃人にしたというカメルバ。
 オレーンの魔術士たちを好んで喰らい、九十九人目の導師に誅されたジャアル。
 死屍折り重なる汚泥の中に、己の祭壇を築かせたというデルウイ。
「……恐ろしい話でございますね」
 覚えていた内容を、列挙して話して聞かせてやると、セスバルは首をすくめて身震いした。
「その恐ろしい悪鬼たちも、六柱神の勝利によって、現界から追い出されざるを得なかった。『九者』たちも、あるものは英雄に倒され、あるものは耐えきれず深淵ロブナの底に身を隠した……ということらしい。この本によるとね」
「それはようございました」
 素朴な男である老家令は、主人の大事な本をいじりながら食事をしている女騎士に、心底安堵したふうな顔を見せると、さりげなく空になっている葡萄酒の杯を満たした。エクレイドは礼を言うと、再び、間に肉を挟んだパンへかじりついた。
「ありがとう。ところで、この食事の便利さというのがやっとわかってきたんだけど、わたしはもう文字を追いかけるのはやめて、外で雲でも追いかけてこようと思うんだ。だから明日からの晩餐は、両手を使える献立にしてもらえるとありがたいな」
 ――それから、愛馬を駆っての遠乗りに出かけたり、村を訪れて、酒場で仕事終わりの農夫たちと呑み比べたりと、まこと気楽に時間を潰していた女騎士が相棒の元へ顔を見せたのは、モントへやってきて四日目の夕方のことだった。
 男爵の書斎には、初日にリンドグレンが灯したのと変わらぬ光があふれていた。
 だが、そこに陣どる人間の顔に差した影までは、さしもの太陽神の恵みも、拭いとれないでいるようだった。扉を開けて頭を突き出したエクレイドを、振り返る青年騎士の面には、薄い疲労の膜が張っていた。
 部屋の中には男爵の姿はなく、彼の向かいに位置する長椅子には、乱れた毛布とうずたかく積まれた皮紙の山ばかりがあった。おそらく、下の書庫へ出向いているのだろう。
「どんな具合だい?」
 訊くと、リンドグレンは大きく吐息した。
「……使われている文字の、おおまかな時代は推定できた。そこから、あらかたの言葉は拾うことができる」
 彼は大きなテーブルの上に散らばった、幾葉もの覚書のようなものの中から、一つ取りあげて彼女に向けた。ペンの尻の部分で、丸く、小さな範囲を示す。
「一部を抜き書いて、訳してみたものだ。――読んでみてくれ」
 言われるままに目を落としたエクレイドは、困惑した。
「……何だい、これ?」
 彼女に発することができたのは、そんな素っ頓狂な感想だけだった。
 書き付けにあるのは、四行の、そう長くはない文章である。形式は、詩に似ていなくもない。が、一文ごとの内容はばらばらで、互いにいまいち噛み合っていなかった。
 ありていに言って、詩であるとするなら、すこぶる下手くそな出来だったのだ。
 己のおとがいをひねりながら、リンドグレンが両目を細める。
「まだ推測でしかないが、おそらく全編がこのような状態だろうと思われる」
「全編って、これが? 全部?」
「おそらく、な」
 眉間に刻んだ皺を伸ばそうともせず、神経質に机を叩きながら、彼は繰り返した。
「最も単純な説を採るなら、非常に個人的に作られた、詩集だ。あるいは箴言集、備忘録……。だが、字体に、気になる部分がある。オレーン人が時折用いるものに、似通ったところがあるのだ。もしかしたら、綴りかえを使った、暗号文になっているのかもしれない」
 はじめはあれだけ渋っていた彼も、ここまでくると、学究者としての性質が完全に表に出たようだった。灰色の双眸が、深い知性の光を宿して彼女を見あげた。
「あと数日、時間をくれないか。……もう少しくわしく、調べてみたいのだ」
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html : A Moveable Feast