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貪欲なるものの名は

The name of the avaricious one


 ――その恐ろしい悪鬼ルエングは、震えあがった若者に向かって言った。

「我はかつて我の一部であったものを失った。再びそれを奪い返さんとしても、この欠けた力では、地上を照らすライファラスの法に耐え得ず、ここから出て行くことも適わぬ。ゆえに、失われたものを埋め、今も失われ続けているものを一時補うために、おまえのその命がいるのだ」

 若者は、己をとらえようとしている死の指から逃れるために、必死で知恵を巡らせた。そして、助かりたい一心でこう叫んだ。
「主さま、偉大なお方、恐ろしいお方。あなたのために働きます。あなたを満たすために必要なものを、あなたの代わりに探し、集めて参ります。このわたしが!」
 迫りくる死は遠ざかった。しかし若者が発したのは、なおおぞましい、破滅を招く言葉だったのだ。若者は生命を保つ代わりに、死せる〈法〉の崇拝者に、魂を売ってしまったのである。
 こうして、悪鬼は六柱の神々によって放逐された古よりの、長き孤独の時を終え、己に使える僕を得た。
「では、我が代わりに行くがいい。忌々しい、新しき神々の支配する光の中を。だが、おまえの身の内には常に無明の闇が凝り、その魂の鎖はいつでも我が手が握っていることを忘れるな」
 若者を解放する直前、悪鬼は暗い高ぶりを秘めた声で告げた。
「我が名は……」――。

……『ブランスの蒐集した、悪鬼にまつわる伝承』より








 街道の向こうから、夕闇がひたひたと迫りはじめる宵の口。
 ラルギネア王国、サテオル=ウラヌ地方の一市。ソベルの外門を、潜りぬけた二人組の旅人がいた。
 門番小屋が閉門の準備で慌ただしさを増すその頃合い、滑り込むように駆け入る輩の姿は、どこでも珍しいものではない。日没を過ぎてしまえば、街は外の世界と切り離されてしまう。市壁の内側に入れなかった人間は、一夜虚しく、目の前の安楽を逃すことになるのだ。
 二人の旅人は、騎乗した若者だった。どちらも地味な旅行用のマントに身を包んでおり、一見、少なくとも私費で、まともな乗馬を所有できるほどの裕福にはみえなかった。だが、二人組の片割れが鞍を置いているのは傍目にも訓練が行き届いた軍馬であり、乗り手の腰には重々しい、しかし凝った意匠の長剣がさげられていた。
 だいだい色に染まった風がひるがえすマントの下に、編み目のようにのぞく、手入れの行き届いた鎖帷子を目にすれば、誰にでも、若者がしっかりとした戦士階級に属するものであることがわかったろう。
「やれやれ、何とか野宿だけは避けられたみたいだな」
 剣を佩いた若者は言い、わずかに後を行く連れを振り返った。夕日に照らされた茶色の髪が、淡い金に溶けている。どこか少年じみたその顔立ちは甘く、浮かべる笑顔の過ぎた明るさがなければ、身分を憚る貴公子の微行といっても通りそうなほどだった。
「どんなに粗末な寝台でも、固い地面の上よりはずっとましだからね」
「……きみにとっては寝台のことよりも、暖かい食事の有無のほうが重大な問題なのだろう、エクレイド」
 返す一方のこちらは、軍馬の若者とは正反対に、まったく武装していない。比べればほんの少し年上であろう、痩身の青年で、影の落ちた石畳のような、灰色の髪と眸をしていた。表情にも口調にもおよそ起伏といったものがなく、面に表れるものがあるとすれば、百年を生きた老人のごとき落ち着きだけだ。
「はは、違いない」
 若者は大口を開けて笑うと、鹿毛の軍馬の手綱を繰った。
「石のような寝台よりも、石のようなパンのほうがわたしには辛いよ。さあ、早く今夜の宿を見つけるとしよう、リンドグレン。実は、あちこちからいい匂いがするものだから、もうお腹がぐるぐる鳴っているんだ」
 二人は旅籠や酒場が軒を連ねる通りを進んでいった。
 街はすでに夜の匂いを漂わせている。建ち並ぶ店の戸口からは暖かい明かりがもれ、酒精の気配のするざわめきも耳に届いた。通りの中程に構えられた、ひときわ賑やかな店にあたりをつけると、まず、エクレイドが鞍からとびおりた。
「ここだな、門番の言っていた宿は。馬を頼むよ」
 言い置き、慌てて下馬する道連れに手綱を預け、旅籠の扉を押し開く。
 と、
「きゃっ……!」
「おっ――」
 足を踏み入れるなり、小さな悲鳴とともに飛んできた碧色の物体から、エクレイドは身を反らした。それが、通りに飛び出していってしまう寸前に、素速く手をひらめかせる。
 並みならぬ反射神経によってつかみ取られたのは、まだ熟しきらない、丸のままの梨だった。どうやら、男たちが群がり、わき返っている中央のテーブルから、興奮のままに投げ出されたものらしい。
「ずいぶんと荒っぽい歓迎だな」
 悲鳴の主であろう、戸口の側で立ちつくしていた若い女給に、エクレイドは微笑して、軽くそれを放ってやった。両手で受け取った娘は、若者の手際から、いかにも爽やかなその風貌に、見とれる対象を変えたようだった。
「すまんね、お客さん。連中、すっかりできあがってしまっていてな」
 頬を染めた娘の後ろから、なだめるような口振りで、小太りの中年男が顔を出した。でっぱった腹から垂れ下がる着古した前掛けから、店の主人であることがわかる。
「なに、気分がいいのはいいことさ」
 エクレイドは緩く首を傾げて、鷹揚に答えた。余裕綽々といった風情のその態度に、感心したように、主人が鼻息を吐く。
「たいそう腕がたちそうだねぇ、兄さん。立派なその腰の剣からして、どこかのお抱え戦士かい」
「まあ、そうともいえるかな」
 エクレイドは懐から、財布を取り出しながら言った。
「部屋を取りたい。二人分」
「ご主人さまでもおいでなのかい?」
「いいや。わたしと相棒の分さ。あんまり持ち合わせがないから、大部屋でも構わないんだが」
「ふむ……。大部屋は二つあるが、ベッドは生憎一つずつしか空いていないんだ。どっちも男ばかり、自由戦士や行商人でいっぱいさ。そこに別々で構わないかい?」
「いいとも――」
「――いや、個室にしてもらえないだろうか。できれば、別々に。代金はちゃんと支払える」
 突如割って入った声に振り返ると、いつの間にやらエクレイドの背後に、外にいるはずの青年の姿が追いついていた。
「あれ、リンドグレン、馬は?」
「心配ない」
 青年は短く答え、そして、溜息をついた。
「……そんなことよりも。何度も言うようだが、きみはもう少し、自分の身をわきまえるべきだ。不用意な行動は、どんな問題を招くかしれない。今日こそは神殿とはいわないが、せめて、もう少し静かな宿を求めるなり……」
「きみは心配性だなあ。いったいこんなところで、どんな問題が起きるっていうんだい」
「エクレイド」
 戒めるように呼ぶと、青年はぐっと唇を引き結び、頑なに断言した。
「あらゆる秩序の護り手たる、太陽神ライファラスの光にかけて。――きみは神に誓いを捧げた純潔たるべき騎士で、女性なのだぞ」
 主人と女給が目を丸くして、凛々しい若者の立ち姿を凝視する。エクレイドはやれやれと肩をすくめた。
 その胸の上、後ろに払われたマントからのぞく鎖帷子の銀の上には、太陽神ライファラスの聖職者たることを証す、黄金のメダルがこぼれ落ちていた。
「あまねくライファラス騎士の中で、そんなことをいまだに気にしているのは、リンドグレン、きみくらいだよ」
 彼女は呆れたように言った。






真中の王国ラルギネア』。
 その名の通り、大陸の中央に横たわるこの国の、国教としての扱いを受けているのが、六柱神教団……一般的には、六神殿と呼びならわされている宗教組織である。
 六柱神教がこの地位に就くまでに、何らかの問題が起こったという記録は、史書にはない。
 なぜならば、大陸中央部における神殿の歴史は、王国のそれよりも遙かに長い。周辺諸国にちらほらと見える他教の影も、主神ライファラスの、強烈な光に割り入るほどの力は持たなかった。
 中央人はすでに二千年以上に渡って、六柱の神々の伝承と時をともにしている。たいていの人間にとって、信仰にはもはや、魂を流れる血に等しいものがあったのだ。
 さて、宗教組織であるからには、当たり前のことながら、教団には聖職者がいる。
 六神殿の場合、階級による差異は種々あるが、その職にあるものを示す言葉の基本は、『神官』となる。神々に仕える祭司であり、主の現界での代理人として、信徒に恵みと導きを与えるのを務めとしていることでは、他教とさほど変わるまい。
 しかし六柱神教団には、もうひとつ、聖職者と呼ばれるものの形があった。
 誓いによって自らを律し、神々の意志のために働く、そこまでは神官とまったく同じである。だが、もって仕える力と手段が、違った。
 それは剣であり、楯であり、血であり、肉であった。
 鍛えられた肉体と精神、研きぬかれた戦いの技をもって、神々の法と現界の秩序と、信徒たちの安寧を、護るために選ばれた戦士。それが法の守護者、神殿騎士ステルタートである。
 エクレイドとリンドグレンの二人は、王国南西部、単純に『南の西サテオル=イリュ』と名づけられた地方にある、ウェブロス大神殿に所属する神殿騎士であった。
 仕える神は法と真実を司る、太陽神ライファラス。象徴たる色は赤、二重の円の上を、放射状に幾重にも貫く直線を聖印とする、六神を統べる主格たる男神である。
 その彼らがサテオル=ウラヌ、すなわち『南の東』へと地方を跨いで出張ってきているのには、歴とした理由があった。といっても、己の心身のいくらかを――その割合は人それぞれである――神に捧げた聖職者の持ちうる、後ろ暗くない理由なぞ、『使命』の一言に決まっている。
 使命、要するに、神殿の高位聖職者によって与えられた仕事のことである。
 彼らは現在、〈巡察騎士〉という特別な肩書きをもっていた。
 己の属する神殿に暮らし、土地の平穏を護ることが神殿騎士に課せられた義務なのであるが、ときには上位者に申しつけられるまま、さまざまな場所へ派遣され、使命をこなすこともある。〈巡察騎士〉とは、それを常態とすることを命じられた神殿騎士だ。
 つまるところ、王国中あちこちを経巡って、目につく様々な問題やもめ事を片付けることがその役割なのである。
 まったく対照的なこの一組の男女が、ウェブロスの神殿長の命令により、大神殿を出発してから早一年になろうとしている。互いを相棒と称するようになってからの時間も、同じだけしか経てはいない二人だったが、名を呼び捨て、相手に遠慮ない意見をぶつけられるていどには、気のおけない仲になっていた。
「――それで、きみとしてはどう思う? ここソベルで、小麦街道は分かれ道に来たわけだけれども」
 そう言うエクレイドは、狭いテーブルに溢れんばかりの料理を、礼儀正しく、しかしものすごい勢いで片付けていた。
 彼女は大変な健啖家なのである。ちなみに、向かいに座っているリンドグレンは、それに比較すれば小鳥のようにしか食べない。
 いわゆる神のお抱え戦士である二人は、協議の結果、二つの寝台が部屋のそれぞれの端にくっついた個室を、仲良く使用することで妥協した。荷を置き、旅装を解いて――ただしエクレイドは、剣だけは肌身離さず持ち歩いている――大賑わいの旅籠の食堂で、今後の旅程を練っているというわけである。
 複数の方面につながる街道の中継地点にふさわしく、宿に部屋を取っている者たちの身なりや顔ぶれは雑多で、いずれも旅慣れした雰囲気を醸しだしていた。エクレイドのように、剣を帯びた輩も少なくはない。
 もっとも、この店は市門を守る門番の紹介だ。街の治安を維持するために、似たような人間同士が集まるよう、旅人の風体によって口にする旅籠の名を変えていたとしても不思議ではなかった。
 肉食を控え、パンとチーズと、わずかな葡萄酒のみの慎ましい食事をとっている青年は、ちらりと目線をあげることで女騎士を促した。彼女は指を折って数えあげる。
「北へ行けばマグリヴ、東を選べばギゥリスか、ヒュテリアか……。いっそ、一度ウェブロスへ戻るという手もあるな。どうだい?」
 彼らは神殿の命令で旅をしているのであるが、特に行き先まで決められているわけではなかった。定期的に最寄りの神殿に顔を出し、居場所と現状を報告する義務があるのをのぞけば、まったく自己の判断に従って移動することを許されている。神殿騎士としての法を犯さなければ、悪くいって、気の向くままにふらついていて差し支えないのだ。
 ソベルは地図上、サテオル=ウラヌの右肩にあたる地点にある。『中央ラルギン』、『南の西サテオル=イリュ』両地方にほど近く、ローザル河の河畔に広がる一大穀倉地帯、ダームから続く街道の、通過する場所でもあった。
 マグリヴはラルギンの南端近くにある、安息の女神、グレーネイの騎士長旗大神殿――すなわち、騎士の総帥たる神殿騎士長が居を定める神殿である。
 ひるがえって地方の奥地にあたるヒュテリアでは、運命神ラスン大神殿がまた、騎士長を抱えている。
「我々の使命が、駐屯している神殿騎士隊の目に届かない異変や問題を発見し、解決するものであることを鑑みれば……」
 固い言い回しでリンドグレンが呟いた。彼は騎士の中に稀にいる、法術騎士と呼ばれる立場にあって、例外的に、肉体的な能力ではなくその知能で、神に仕えているのであった。実際には、騎士の位を持った神官と大差ない。わけても彼は、幼時から学問と法術の抜きん出た才で知られており、難解な思考と口調は習い性のようなものであった。
「……騎士長旗大神殿の方角へ向かうのは、いささか無駄な行動といえるのではないか。ウェブロスがそうであるように、神殿騎士長の座所には多くの騎士たちが駐屯している。そういった場所には神々の法は良く行き渡っているものだ。逆に我々の存在が、先方の秩序を乱すことになる可能性がある」
「とどのつまりは、どこへ行く?」
 臆面もなくエクレイドは尋ねる。
「……ギゥリス方面を選ぶのが妥当だろう」
「決まりだな」
 簡潔に言い直したリンドグレンに無邪気な笑顔を向け、女騎士は腸詰め肉の炙り焼きの、最後の一本を口の中に放り込んだ。
「そうとなれば、さっさと支度を整えて、今夜はのんびり過ごすとしようか」
「そうするといい」
 他人事のような口をきいてリンドグレンが席を立ったので、エクレイドはぽかんと彼の長身を見上げた。
「私は、ここのライファラス神殿を訪問してくる。所在の報告をしておかねばなるまい」
「これからかい? そんなの、別に明日にしたって構わないだろうに」
「そう言って、結局立ち寄らずじまいだったことも、過去には何度かあったな」
 物言いは辛辣だったが、うらはらに、灰色の眸に浮かぶ光は穏やかだった。表情に乏しい彼の、笑顔の範疇に分類してよい顔つきである。
「今から行けば、就寝前の礼拝に間に合う。正直なところ、ここのところの旅暮らしで、私には正当な儀式に則った祈りが不足しているのだ」
「昨日泊まった神殿ところは、慌ただしく飛び出してしまったしね」
 納得顔でうなずくと、エクレイドは立ち上がった。
「わかった。わたしも行くよ」
「……いや、きみはゆっくりしているといい」
 一瞬の沈黙の後、敬虔な青年騎士は言ったが、女騎士は受け付けなかった。
「もう時間も遅い。神殿があるとしたら市壁の近くだ。旅籠通りと違ってそういった場所は、とうに人気もないだろう。剣も差さない人間が、一人で歩き回るのは危険だよ」
「エクレイド、私も騎士だ」
「わかっているよ、わたしはね。だけど、よからぬ連中には、きみの頭の中の刃までは見えない。一緒に行こう」
 リンドグレンは諦めたような溜息をついた。そして、相棒の腰にさがった美しい長剣を、横目にしながら言った。
「……エクレイド、きみは今朝早く、我々が宿泊先を『逃げるように』飛び出した原因が何であったか、覚えているか?」
「もちろん、覚えているよ。『逃げるように』じゃなく、実際逃げ出したね」
 女騎士はあっけらかんと答えた。
「で、あれば、きみは神殿に顔を出さないほうがいいということもわかるだろう。万が一、かのオデュロン卿の追っ手にでも見つかるようなことがあれば、今度こそ神前の決闘を受けさせられることになるのだぞ」
「うーん……」
 緊張感のない唸り声をあげて、エクレイドは頭をかいた。
 昨日、二人は街道を見おろす丘の上にある、小さなライファラス神殿に立ち寄った。一夜の宿を欲してのことだ。
 そこには、彼らと同じく宿房を借りる旅人たちが何組かいた。内の一組が、王国騎士オデュロン卿とその一行だったのだ。
 オデュロン卿は年歯四十半ば、熱烈な戦烈神ガイユの信徒だった。
 ささやかな領地を後に、誉れを求めて国中を遍歴していた彼は、偶然行き会ったその神殿で、エクレイドの腰の剣に目をつけたのであった。
「――そ、それこそはもしや、名高き神殿騎士貸与剣!」
 出会い頭に素っ頓狂な声をあげられたエクレイドは、思わずうなずいてしまったものである。たちまち、オデュロン卿は女騎士に詰め寄った。
「各々の神殿に三振りしか存在しないはずのその聖剣を、授かっているということは、貴殿、ライファラス神殿でも随一の剣士であるとお見受けするが、いかがか!?」
「まあ、そうかもしれない」
 生来正直なエクレイドは、謙遜というものを知らなかった。
 彼女は太陽神神殿騎士剣術のすべてを修めた、『皆修者エトゥン』の資格の持ち主で、音に聞こえたその腕を認められ、うら若い女性の身ながら、総本山から貴重な剣を貸し与えられている。
 オデュロン卿は、若い騎士の返答に感極まった。さっと両腕を広げ、高々と天に向かってさしのべると、あたり憚らぬ声で宣言したのだ。
「ああ、このような場所でこのような相手に巡り会えるとは! 我が父ガイユよ、感謝いたします! この素晴らしき闘いの炎を、御身に捧げん!!」
「ちょっと、ちょっと」
 あまりに一方的な展開に、さすがのエクレイドも鼻白んだ。神殿騎士は神の戦士だ。世俗での争いごとは、できるかぎり避けねばならない。
 何より、聖剣とも呼ばれる騎士貸与剣は、それぞれに神の神聖なる理力がこめられた、異能の武器なのだ。使命のなかで必要が生じないかぎり、特に一対一の闘いでは、振るうことを禁じられている。それが、騎士剣の拝領者に課せられた、厳しい決まりであるのだ。
「まいったな……」
 エクレイドは彼女なりに困って、彼女なりに悩んだ。
 興奮してこちらの話など耳にも入っていない王国騎士のことは、とりあえずのところ、神殿の敷地内で俗人の帯剣は認められていないという理由で、一旦はなだめた。では、と対決にふさわしい舞台をぶつぶつ考え込んでいる彼を、諦めさせる手段として結局、彼女が選んだのが……。
 いまだ夜も明け切らぬ時刻の逃亡、もとい、出発だったのである。
「約束していたわけじゃないしね」
 彼女の言うとおりなのであるが、盛り上がっていたオデュロン卿のほうではそうはいくまい。
「……闘いをガイユに捧げるとまで言ったのだ、生半なことで卿が諦めるとは思えない。あの勢いではおそらく、方々に人をやってきみのことを捜させているだろう。ことが騎士の名誉の問題に及べば、さすがにきみも、放っておくわけにはいくまい?」
 エクレイドは肩をすくめた。
「ガイユ信徒はみんなああなのだものな。勝負事に関する執念深さが、並大抵じゃない」
「うむ。だから、きみはここで――」
 リンドグレンが相棒を見おろし、言いさしたときだった。
 大きな音をたてて店の扉が開き、一人の男が入ってきたのだ。派手な布を巻きつけた帽子をかぶったその人物は、食堂をぐるりと見回し、二人の騎士の姿を認めるや、とびあがって両腕を振った。
「ああ、ようやく見つけた!」
 彼は危なっかしくテーブルの間を走り抜け、隅で立ち上がったままのエクレイドらの前へやってきた。
「明るい茶色の髪、榛色の瞳、貴公子の風情。そしてその佩剣! ライファラス神殿騎士剣拝領者、タート・エクレイドですな?」
 『タート』とは、神殿騎士位を持つものへの敬称である。
「ええと……」
「早朝にあなた方があの神殿を出発してしまわれてより、必死の思いで追って参ったのですよ。門番に感謝せねば。いやはや、会えてよかった!」
 リンドグレンが深く息をつき、エクレイドは額を押さえた。
 喜々としてなおも語ろうとする男を手で制し、女騎士は腕組みして、言った。背後では青年騎士が、こっそりと、男に突然の安らかな眠りをもたらす祈りを神に捧げはじめている。
「せっかく頑張ってもらったところを悪いんだけれど。……卿に伝えてくれないか。わたしとどうしても闘いたいというのなら、誰か高位神官の許可を取り付けるようにと。でなければ、決闘を受けるわけにはいかないんだ。これでも一応、わたしも聖職者で……」
「は?」
 女騎士の長広舌に、男は思いもよらぬふうに目を瞬いた。そのようすに、リンドグレンの呟きは止まり、彼女は首を傾げる。
「――あなたはオデュロン卿の使者ではないのかい?」
「ああ、なるほど」
 男は合点がいったように手を叩くと、大声で笑った。
「いやいや、例の王国騎士殿と私には、何の関わりもございませんよ。朝にあなた方がいなくなっているのを発見したときは、かの御仁もいたく奮いたって、手のものに捜索の指図をしておられたようすでしたが。私は逆に、供を置いて、とるものもとりあえず一人駆けてきたという案配で」
 よく見れば男には、埃よけの外套さえなければ、当世風の仕立ての良い上衣と、手入れされた口髭も相まって、散歩途中の街の富裕者といった雰囲気がある。手ぶらのその身なりは、旅装と称するにはあまりに無防備だった。
 彼は派手な帽子を脱いで、挨拶をした。
「私の名はノアルと申します。ここから馬で半日ほど行った先にある、モントに屋敷を持つ男爵でして。ごく個人的な理由で、あなたたちを捜していました」
 男爵は、そこで、女騎士の後ろのリンドグレンに視線をあてた。
「正確には、私が捜していたというのは、常にタート・エクレイドとともにおいでだという、あなたのことなのですが。タート・リンドグレン」
 指名を受けた青年は、かすかに目を瞠った。
「……私を?」
「ええ」
 男爵は微笑みながら言った。
「あなたの力をお借りしたいのですよ、騎士殿タート。あなたのその、広く深い知識を、ぜひに」
 ……二人の騎士は顔を見合わせた。
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