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仇敵

Avenger



「では計画通りにな。諸君に神の御恵みがあらんことを。神よ、御加護をローラ・エイメン
「ローラ・エイメン」
 麓の部隊と互いに祈りを捧げ合ってから、騎士長の襲撃班は馬を下り、山中に踏み入った。
 暁の最初の光が、母である安息神グレーネイの面を隠す薄衣を、一枚一枚、そっとはぎとっていく。希釈されたように薄くなっていく闇の中を、エクレイドたちは黙々と進んだ。
 傾斜はさしてきつくない。もともと、丘の上に帽子をかぶせたような小さな山だ。木々の間に埋もれた道なき道を、注意深く辿って行く。
 やがて、中腹まで登ったという頃、木立ちの中に、明らかに人の手が加えられた空間が広がった。
「見えるか、エクレイド。向こうだ」
 リチアルドが振り返った。彼の示す方向に、岩場に至る道があった。
「あそこが、件の拠点だろう。だが、注意しろ。これは奇襲ではなく、潜入だ。奴らは我々の襲撃を、幾重にも警戒しているはずだ」
 打ち合わせの際の、情報が漏れている、というくだりを思いだし、エクレイドは言った。
「警戒して、もう逃げ出してしまった後かもしれませんよ」
「それは、おそらくない」
 リチアルドは淡々と答えた。
「ブラッソンは何故自分の存在を明かすような手段でラキリムを寄越したのだと思う? ……奴は、私をここへ来させたかったのだ。ああすれば、わたしが少ない手勢を引き連れてここへ乗り込んでくると。あの男なら、そう考えるはずだ」
「は……」
 騎士長の、木立を見通す眸の奥に浮かんだ暗い光に、エクレイドは口をつぐんだ。
「そして、私は奴を二度と見逃す気はない」
「……」
 彼女は黙って剣を抜いた。
 ローラ・カラトス……〈我が敵を赦し給え〉の名を戴く、ライファラス神殿騎士貸与剣。この剣を握ると、彼女はいつも、潮のように落ち着きが満ちてくるのを感じる。
「行くぞ」
 騎士長は同行者たちに告げ、木の陰から滑るように走り出た。エクレイドも遅れずに続く。ラキリムが、一呼吸おいてそれに倣った。
 ……何者かが、息を潜めてこちらを伺っている。
 改めて周囲の気配を探ると、そんな感覚がわきおこってきた。騎士長の忠告のせいなのだろうか。それとも実際、自分たちは見張られているのか?
 油断なく身構えながら、彼女らは岩場までの距離の半分を走り抜けた。
 そのとき。
 何かが、風を孕んではためくような音がした。頭上である。エクレイドはばっと顔を上げた。彼女の視界一杯に、網目模様が広がった。
「……っ!」
 捕縛網であった。彼女らの上に、投網のように投げ掛けられたそれが、全身の自由を奪う。縁にはずらりとおもりが取り付けられていて、その重みが、三人の手足に網を絡みつかせた。
「やった! へへっ、呆気ねぇなぁ」
 野卑た歓声を上げながら、無頼者たちが姿を現わした。樹上、茂みの中、それぞれの場所から十名程度である。
 彼らは騎士たちを取り囲む輪を、無遠慮に狭めてきた。
「騎士ったって、大したことねぇな。こんな簡単に引っ掛かるなんてよ。旦那のいった通りだぜ」
「おい、三人だけか? ちっと人数少ないんじゃないか?」
「まだいたって構うもんかよ。騎士様ってぇのは、兜を被ってなくても、こう、前しか見えてねえみたいだからな」
 男たちの爆笑が渦をなした。そうしながらも、手に手に武器を構えていることが分かる。
 ラキリムは死に物狂いでもがいていた。それを押さえ付け、エクレイドは命じた。
「じっとしてるんだ」
 エクレイドは地面に伏せたまま、待っていた。

 網に絡めとられた瞬間から、左手の指を蠢かせ続けていたリチアルドの呟きが、彼女にも理解できる一言に変わる瞬間を。
 騎士長が左手を開く寸前に、茂みをかきわけて飛び込んできた誰かが、怒号を発した。凄味のある、叩きつけるような声だった。
「馬鹿が! 不用意に近付くんじゃねえ! そいつらは貴族野郎の騎士じゃねぇ、神殿騎士だぞ!」
「ローラ・エイメン!」
 神に捧げた騎士長の祈りが、目に分かるかたちとなって燃え上がった。
 驚愕と悲鳴が、男たちの五感を震わせる。エクレイドは一瞬で炭と化した捕縛網を振り払って、盗掘者たちの目前に踊り出た。
 疾風のような若い騎士の動きは、男たちにとって、悪魔のそれの如く映っただろう。彼女は誰だろうとお構いなしに、前方の迎撃者の胴を薙ぎ払った。
 血飛沫が吹き散り、支えをなくした身体が地に没する。たちまちのうちに囲みの外に抜け出した彼女は、騎士剣を正面に構え直した。
「鎮まれ! 私はライファラス神殿騎士長リチアルド。我が神の御名において、おまえたちを裁きの座へ連行する。赦免の余地を望むなら、その場を動かぬことだ! さもなくば、おまえたちの魂の逝き場は、我らが切先のみが知ることとなろう」
 騎士長が、別人のような猛々しさで一喝した。余りの声量に、男たちの身体が硬直する。彼は抜き放った剣を油断なく提げており、エクレイドと、敵を挟み撃ちにする態勢を整えている。
 そのとき、囲みの外から罵声が飛んだ。
 先ほど、怒号の主だ。その場の全員が、振り返る。
「何を怖じ気づいてやがる、この阿呆ども! 数じゃあまだ、こっちが上だろうが!」
「おまえは……!」
 ラキリムが、棒立ちになった。
 朝の淡い光に、一人の男の姿が浮かびあがっていた。
 両手に小剣を抜いた、中背の人物だ。年の頃は四十前後。荒れた生活に削られたような細長い顔には、不精髭が生い茂っている。
 男は周囲を睥睨し、鋭い叱責を浴びせた。
「野郎どもを捕まえたらすぐに叩っ殺せとあれだけ言っといただろうが! どうしようもねえ能無しどもが! 犬っころでもしくじりゃしねえことを……」
 男の吊り上がった目が、立ち尽くしたラキリムを見付け、その幅を広げた。彼は肩を揺すって笑った。
「はっは、ルーテッドの倅か。ここにいるとこを見ると、上手く手懐けられちまったみてぇだな。血は葡萄酒と一緒で、産まれた畑をごまかせねえってぇことか?」
 ラキリムは衝撃のあまり絶句してしまっていた。
 この男が、彼に一連の真相とやらを告げた人物だ、とエクレイドは直感した。
 果たして、騎士長は男の名を呼んだ。
「……ブラッソン」
「あぁ。ブラッソンさ、リチアルドよ。ちゃあんと俺様の名前を覚えててくれたわけだ。……おっと、今は騎士長閣下だっけか?」
 ブラッソンは両手を広げた。親しい友人と再会でもしたかのように。
「お互い、若いのには苦労するなあ。こいつら、猟犬の恐ろしさは噛まれてみねぇと分からねえときてる」
「……よくも、これまで生きていられたものだな」
 騎士長の台詞に、男は唾を吐き捨てた。
「ああ、本当になあ。あのときは、俺様ももう駄目だと思ったぜ。傷が塞がってもと通りに動けるようになるまで、一年かかった」
「……」
「だがよ」
 天に向かってそそり立つ、崖のような近寄り難さで相対するリチアルドに、ブラッソンは歯を剥いた。それは一見憎悪の表情だったが、野犬が笑っているかのような、奇妙な印象があった。
「俺様は生きてる。死にゃあしなかった。かわいそうなルーテッドのようにはな」
 リチアルドの眼光の険しさに、微かな苦悩の影がさした。ブラッソンは嘲弄した。まだ灰色の空に向かって。
「悔しいか。悔しいよなあ。あのとき、おまえは俺様に止めを刺さなかった。刺せなかった! そればっかりにルーテッドは死んで、死者の住まいニレムに旅立つことになっちまった。おまえが、俺を殺さなかったばっかりに」
「貴様っ……!」  ラキリムが、身を乗り出した。
「貴様が……貴様が、父を……?」
「そうさ」
 謳うように、ブラッソンは言った。
「その機会を、リチアルドが与えてくれた」
「貴様ぁっ!」
 ラキリムは咆え、剣を振りかざして盗掘者に突進した。
 ブラッソンは身を捻って、復讐にたぎる剣撃を避けた。彼の両手の小剣が、挟み込むようにして鋼の刀身を捕らえる。
 変わった形の、二股に分かれた刃先は、ラキリムの剣を食らいこんで放さない。進退極まった彼の脇腹を、ブラッソンは思い切り蹴り上げた。
 くぐもった呻きを漏らし、ラキリムは地面に倒れた。奪い取った剣を投げ捨て、盗掘者は容赦なく彼に襲いかかる。それを阻んだのは、唸りを上げて落ちてきた一条の光であった。
 ブラッソンが両手をかざし、重い一撃を受け止める。騎士長リチアルドは、冷酷な技術を宿す右腕を仇敵に突きつけ、ラキリムの前方に立った。
「十五年」
 彼はうそぶいた。
「ルーテッドの死が教えてくれたことを、私は心に刻み続けてきた。慈悲と赦免、非情と断罪。その使い方を、私が間違うことは、二度とない」
「なら、俺様も教えてやるぜ、リチアルド。俺様はてめえに食らわされたあの痛みを忘れたことはねえ。借りを返すときを十五年待った。しくじらねえように手勢を残してきたのはお利口だがよ、騎士長様。その深慮もな、てめえが生きて、それも自分の足で山を下りなきゃ、何の意味もねえんだぜ!」
 静まり返って成り行きを見守っていた男たちを、ブラッソンは怒鳴りつけた。
「かかれ! 神殿の犬どもを、這いつくばらせてやれ!」
 刹那の逡巡、そして。
 まるで時を支配する呪縛が一度に解けたような勢いで、喚声を発し、盗掘者の集団は、神殿騎士たちに襲いかかった。
「タート・エクレイド!」
 騎士長の命ずる声が響いた。
「騎士剣の力を解放しろ。委細構うな!」
 言葉の全てが終息するのを待たず、エクレイドの上位者は、己の仇敵へ猛然と打ちかかっていった。






 エクレイドはローラ・カラトスを雷のように振り回した。悲鳴と、罵声。それらかたちなき飛沫が、血の赤と一緒に彼女の上に降り注ぐ。
 彼女は一切の容赦をしなかった。完全に、数が違うのである。侮ってかかれるほどの余裕は存在しなかった。彼女は目に付くものを片っ端から、何と構わずに斬ってまわった。
「こ、この野郎……!」
 畏怖の叫びを、男たちは漏らした。
 彼女は一人で、十名以上の盗掘者を相手にしている。それのみにとどまらず、彼女は確固たる意思を持って、リチアルドたちと己が敵との間に立ち塞がっていた。
「彼らの邪魔をしたいのなら、この騎士剣の洗礼を浴びてゆけ。いくらでも相手にしてやるぞ!」
「こいつっ……たかが、若造一人じゃねえか!」
 怯みからくる苛立ちをあらわに、剣を手にした男が攻め込んでくる。エクレイドの手首が機敏にしなった。閃いたといっていい。ローラ・カラトスの刃こぼれ一つない剣身が空を走り抜け、男の手元を襲撃した。
 派手な音を立てて、薄汚れた長剣が地面に叩き落とされる。この間、女騎士は目線をまったく動かしていない。
 動揺が駆け抜けた。
 エクレイドは全身に戦意をみなぎらせながら、男たちに向かって、ぐいと進み出た。人垣は、距離を縮めるのを恐れるように、遠のく。
 このまま、彼らが気付かずにいてくれれば、と彼女は密かに願っていた。彼女のあまりに堂々とした振舞いが、男たちの目から事実を覆い隠している。
 ――彼女はその場から動かないのではない。
 動けないのだ。
 リチアルドとブラッソンの闘いは、余人の干渉を許さぬものとなっている。だがそれは、騎士長の側からの倫理だった。
 もしも彼女が隙を見せれば、数の力が横から騎士長を圧倒するだろう。それを杞憂と片付けられるほど、エクレイドのブラッソンに対する認識は、平凡なものではなかった。
 じりじりと、エクレイドとリチアルドの戦場の距離は開いていった。
 もう少しだ。もう少し、離れられれば……。
 彼女が背後との距離感に全身を集中させていた、ほんの一瞬のことである。
 空気を貫く異音を、彼女は夢の中のように聞いた。
 左肩に、突き飛ばされるような衝撃が加わり、彼女は上体を反らしてよろめいた。
「な……?」
 何だ、と言おうとして、はしった激痛に、彼女は全てを悟った。左肩に、太い矢が刺さっている。人の手で引くために作られたものではない。
「へ、へへ、やったぜ!」
 後方にさがっていた男が、興奮の体で両腕を振り上げた。その手に揺れる弩を認め、男たちは次々に顔色を取り戻す。
「おお、でかした!」
「へっ、そうだよな、いくら馬鹿っ強い騎士ったって、射殺しちまえば山鳩と一緒だ」
 盗掘者たちは女騎士を囲む輪を再び狭めはじめた。
 エクレイドは進退を決めかねた。男たちの向こうで、弩が構え直されている。左肩の矢は、鎖帷子の輪を引きちぎって食い込んではいるが、狙いが甘かったのか、深刻な部分に達してはいない。いかにも盗人の持ち物じみたその武器の、ばね仕掛けの粗悪さも、彼女に味方したのだろう。
 だがこれが、幸運に過ぎぬことをエクレイドは知っていた。弩の矢は、本来、至近距離なら鋼鉄の甲胄をも貫通するものだ。劣悪な質の物でも、狙いどころさえわきまえていれば、彼女の身体を射抜くことくらいできよう。
 そして、下手に避ければ、十数名の男たちの構える刃の下へ、不用意に潜り込むことになる。
 ――騎士剣の力を解放しろ。
 騎士長の命令が、耳の奥に蘇った。
 そうするしかないようだと、彼女の明晰な、戦士としての判断力は結論を出していた。
 しかし、彼女はためらった。その理由はとりもなおさず、彼女がローラ・カラトスの偉大な力を、独力では制御しきれないという一点に尽きた。
 一度解放してしまった力は、相手を完膚なきまでに打ち倒さない限り、収まることがない。騎士長の許可を得ているとはいえ、そもそも、人に向けて振るうことを禁じられた力だ。
 迷えるままに、彼女は左足を引いた。射手が、狙いを定めたのが分かった。
 だが、次の瞬間、叫び声とともに、射手が彼女の視界から消えた。
 揉み合う音。不意を突かれ、思わず振り返った男たちの怒号が、彼女を行動に移らせた。
「野郎!」
 身を低くして、エクレイドは輪の端の男に肉迫した。気付いた男が武器を振りかぶる暇も与えない。太腿を斬りつけられ、盗掘者は苦悶の呻きを抱えて大地に沈んだ。
 今や彼女にも、事の趨勢が見て取れた。ラキリムが、弩を持った男に飛びかかり、その胸の上に馬乗りになっている。
 格闘するうちに双方の武器は投げ出され、彼は丸腰だった。そして、怒りを漲らせた男たちが、絶好の機会をふいにしたラキリムに、報復するために踏み出そうとしている。
 このとき、エクレイドは微塵も迷わなかった。
 騎士剣を掲げて、彼女は咆哮した。
「――!」
 白々と明け始めていた朝の大気の中で、突如、光が爆発した。
 ローラ・カラトスの銀の剣身から、焼けつくような蒼白の条光が迸ったのだ。居並ぶ無頼の男たちが、幽鬼のような肌色に染まった。盗掘者たちは我をなくして、神殿騎士貸与剣と、その拝領者とを凝視した。
 エクレイドの無慈悲な一撃が、神の雷の最も近しい場所にいた一人の肉体を、まるで藁束のように切り飛ばしていた。宙を舞う男の上半身から、爆ぜた肉片が飛び散る。
 盗掘者たちは、茫然とそれを眺めていた。が、己が上に降り注いだかつての仲間の一部分に触れ、その異常な熱さを感じとった途端、肺の中の空気を全て狂ったような絶叫に変えた。
 エクレイドは彼らに向けて、ローラ・カラトスを再び一閃させた。火花を生じる稲妻が、男たちの髪を、衣服を焦がす。
 男たちはもはや彼女の前に立とうとはしなかった。喉を枯らしながら、雪崩をうって逃げ散っていく。
 ラキリムは面を凍りつかせ、雷をその手に握った女騎士を見上げていた。彼の下で暴れていたはずの男は、眼球をくるりとひっくりかえし、失神していた。
 エクレイドは、男たちを追わなかった。後は、麓にいる兄弟たちがやってくれる。それよりも、凄まじいまでに膨れ上がった神聖なる力を、もと通り剣の中に封じるために、彼女は苦闘せねばならなかった。
「くっ……」
 荒ぶる力に、女騎士は呻いた。彼女は、ともすれば自分の身を飲み込もうとする、熱を持った青白い光を、ほとんど根気で足元に向けた。
 騎士剣を、渾身の力で地面に突き立てる。
 弾かれたように、エクレイドは剣柄から手を離した。現われたときと同じように、光が爆発した。だが今度は、霧散のためのそれだった。
 騎士貸与剣は完全な静寂を取り戻した。
 額に滲み出た汗を拭いながら、エクレイドは大きく息をついた。胸の上下とともに矢の刺さったままの肩が痛んだが、安堵の気持ちを削ぐものではない。とにかく、危機は去ったのだから。
 しかし、彼女の安らぎは一呼吸のうちに破られた。
 背後で、鋼の砕ける異様な音が響き渡ったのだ。
 エクレイドは思い出した。そして、振り返った。
「リチアルド!」






 騎士長は声を押し殺して後ずさった。歯列の隙間から零れたその声は、半ば唸りと化していた。
 冷笑を浮かべたブラッソンが、彼を追い詰め始めている。
 リチアルドの右手に握られた剣は、拳一つ分の長さを残して、折れていた。神殿騎士の扱う武器は、大陸でも最高品質を称えられるラマス鋼でできている。その剣を、老獪な盗掘者は両手の奇妙な小剣で破壊したのだ。
 リチアルドは、朱に塗れた左手の指を微かに動かした。折れた剣先が飛んでいく際、彼のそこはざっくりと切り裂かれ、破れた水袋のように血を滴らせていた。
 ブラッソンはせせら笑った。
「どうするよ、リチアルド? 神様に助けを求めてみるか? ……確かてめえらの術は、左手を使うんだったよな」
 勝利者の権利を誇示するように、盗掘者はゆっくりと騎士長に近付いていった。リチアルドは、顔に何らの焦りも浮かべぬまま、慎重に退いていく。
 やがて、騎士長の長靴の踵を、木の根が制止させた。後がない。彼は意を決したように、折れた剣を上げ、真っ向からブラッソンを睨み据えた。
 盗掘者は喜悦を深めた。小剣を振り上げる。そのとき。
「リチアルド! これを!」
 声とともに、二人の視界を、放物線を描いて舞うものがあった。
 刃に映った自分の顔を一瞥するや否や、騎士長は投げ渡されたローラ・カラトスを受け止めた。驚愕するブラッソンに、その切っ先を突き付ける。
 彼は唱えた。助力を得るためにではなく、赦免を求めるために。
「今一度この剣を振るうことを、神よ許し給え!」
 リチアルドの手の中で、騎士剣が再び白熱した。
 ブラッソンは逃れようとした。
 だが彼の立つ位置は、あまりにも騎士長に近すぎた。
 リチアルドは一切のためらいを排除した手つきで、ローラ・カラトスを振るった。刃の軌道は美しい弧を描き、盗掘者の身体を、上から下へと駆け抜けた。
 ブラッソンがかざした小剣が、真っ二つに分かれて飛んだ。彼の背中から、血飛沫とともに、解き放たれた白光が激しく噴出する。
 男の雄叫びが、高く長く尾を引いて、早暁の涼気に溶けた。
 崩れ落ちた肉体を前にして、リチアルドは己を救った部下を迎えた。
 エクレイドは騎士長に駆け寄り、その無事を確認すると、肩の力を抜いた。彼女は微笑んだ。
「間に合ってよかった」
 リチアルドは女騎士を見詰め、問いかけるように呟いた。
「……きみは、知っていたのか? ……いや」
 彼は目を閉じた。長い時間の中で凝り固まっていたものをゆっくりと消化しているように、エクレイドには見えた。
 やがて、騎士長は言った。
「この場は片付いた。残りの仕事に、かからねばならんな」
 彼は騎士貸与剣を彼女に手渡した。深い感慨に包まれた声音で、告げた。
「感謝する、エクレイド。私を、……助けてくれたことを」
 その言葉には、無数の意味が込められているようだった。
 エクレイドは何も返さなかった。騎士長の求めているのが無言の受容であることを、分かっていたからである。
 梢から、流れ落ちる黄金の光が、世界を明るく塗り替え始めている。
 それには、彼女らの生還を祝福する神の恩寵という喩えが、まさに相応しかった。

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