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仇敵

Avenger



 その闖入者は、ちょうど朝の礼拝が明けた頃、ウェブロス神殿に現われた。
 前門を守る神殿騎士ステルタートは、腰に剣を提げたまま奥へ踏み入ろうとする男を見咎めた。基本的に、武器を身につけて神殿内を闊歩できるのは、神殿騎士のみだったからだ。
 市民や旅人は、大抵の場合この決まりをわきまえて、門を潜る前に物騒な道具を身体から取り外す。神殿騎士は、うっかりとそれを失念したのだろう男を呼び止めて、丁寧に武装の解除を求めた。
 しかし、男は、不当な扱いを受けたような腹立ちを満面に刷いて、穴があくほど騎士を睨めつけた。彼は、ほとんど憎悪の塊といっていい声で唸った。
「なら、騎士長をここへ呼んでこい」
 あまりに無礼な命令に、騎士が返す言葉を失っていると、男は、己の声音に煽られたとでもいうように、表情の憤激を深めた。騎士の胸倉を掴みあげ、咆える。
「騎士長リチアルドを、ここへ呼んでこい!」
「閣下は、現在執務中だ。ここに来ることはできん」
 ただならぬ気配を感じたほかの騎士が、二人の間に割って入った。
「閣下にどうしても会いたいというのであれば、我々の方から伝えておこう。閣下が都合をつけるまで、その旅装をといて、客館にてお待ちあれ、旅の方よ」
「奴の都合など、知ったことか」
 男は騎士を振りほどいて、その場で腰に帯びた剣を引き抜いた。
「邪魔をするな! この俺と、この剣とが、今、奴に用があるんだ!」
 制止の及ぶ間もなく、抜き身の剣をひっさげた男は、神殿の奥へと走り込んでいった。
 周囲は騒然となった。すぐさま、数名の騎士が狼藉者の後を追った。
 男は、神殿の敷地を一散に駆け抜けた。行きあたる人々を突きとばし、悲鳴と怒号を背後にして、彼は本殿の外廊にたどりついた。
 植え込みを飛び越えて、建物の中へと侵入しようとする彼の目の前に、しかし不意に、ある障害が出現した。廊下を、一人の若者が歩いていたのだ。
 男を追う騎士たちが、これ幸いとその人物に呼びかける。
「その男を止めてくれ、頼む!」
 突然の依頼を受けた若者は、状況にやや戸惑いつつも、反射的に、帯剣の柄に手を掛けていた。男ももはや、止まることはできぬ。
「どけ!」
 叫び、剣を振りかざし、立ち塞がる若者に躍りかかった。
 刹那。
 凄まじい勢いではね飛ばされた男の身体は、低木の上を舞い、追跡者たちの爪先に落下した。
 砂埃がまきあがる。
 騎士たちは、地面に転がる男を取り囲んだ。誰かが言った。
「馬鹿め。拝領者のエクレイドに挑むとは」
 一撃で男をはじきとばした若者は、手の中の、刃先の潰れた剣を見ながら、呆れたように呟いた。
「模擬剣を持っていてよかった。死なせているところだぞ」






 太陽神ライファラス神殿騎士長リチアルドは、そろそろ五十を越えようという年齢の、威厳ある男だ。
 長い修業と鍛練に慣れた肉体は、張り詰めたような筋肉に鎧われてい、まだまだ衰えをみせる様子はない。とはいうものの、後ろに撫でつけた灰金色の髪には白いものが混じりはじめている。
 エクレイドが入室したとき、彼は自分にあてがわれた書斎の中で、革張りの椅子に背を預けて、一通の書状に対しているところだった。
「エクレイド。珍しいな。きみがこの時間に、訓練場ではなく私のところへ顔を出すとは」
 騎士長は温和な笑みを浮かべ、部下を迎えた。真面目で、厳格に戒律に従う男ではあるが、普段は穏やかで、思いやりのある人格の持ち主だ。拝領者となりその剣の腕を称えられながらも、実際騎士となって四年にすぎない若輩者を、何のこだわりもなく対等に扱うその性分が、エクレイドは好きだった。
「ええ。珍しいついでに、少しよろしいですか、リチアルド」
「構わんよ。私も、ちょうどきみに話したいことがあった」
 リチアルドは言って、女騎士を促した。エクレイドは樫材の重厚な机の正面に立って、問うた。
「ラキリムという名に、聞き覚えはありませんか」
 騎士長は怪訝そうに眉をひそめた。彼女は続けた。
「先ほど、門前で騒ぎがありました。一人の男が、帯剣したままここに入ろうとしたんです。とりあえずその男は懲戒房に押し込めてありますが……」
 言葉を切り、エクレイドは肩をすくめた。
「あなたを、父の敵と言っています」
 リチアルドは、思案気に視線を落としたまま、しばらくの間無言でいた。
 再び部下を見上げたとき、彼の顔は熟練の指揮官のそれに変わっていた。
「エクレイド、きみの相棒は何処にいる?」
「リンドグレンですか? 彼なら調べ物を片付けにティークの大神殿に出掛けましたよ。昨日のことです」
「……ならば、その分は私が補わねばなるまい」
 呟いて、騎士長は立ちあがった。
「そのラキリムという男に会いたい。エクレイド、供を頼む」
「構いませんが……一体何です? そんな難しい顔をして。よくある騒ぎに、少し大袈裟過ぎやしませんか」
「その男の言うことは真実なのだよ、エクレイド」
 静かな騎士長の声が、エクレイドの口を塞がらなくさせた。彼は、その厳しい面に微かな苦みをのせて、唇を歪めた。
「……私が、彼を死なせたのだ」






 神殿騎士に課せられる使命というのは、彼らが騎士と呼ばれる以上、武力を持って達成されるものが多い。
 鎮圧せねばならない暴徒、摘みとらねばならない罪悪との不幸な激突の結果、彼らは時に正当な、時に不条理な怨恨をかうことが少なくないのだ。
 それらのために、恐れを抱くことも、必要以上に罪悪感を覚えることもない、というのは、騎士長であるリチアルドが常に部下たちに言い聞かせている言葉であった。
 ウェブロス神殿の一隅に建てられた懲戒房は、小さな窓と堅い寝台、そして粗末な机だけが据え付けられた狭い個室である。己の犯した過ちを悔いる必要があると判断されたものが、この部屋に入れられる。己と向かい合うための場所なのだ。騎士たちが管理する牢獄は、咎人のためにのみ存在する。
 ラキリムと名乗った男は、その一房に軟禁されていた。
 意識を取り戻した彼が余りに暴れたので、その両腕はやむなく縄で一つに縛られている。見張りも修道士たちの手に余ったので、騎士の数名があたっている有様だった。
 エクレイドたちは房の扉を開けさせ、狭い室内に入った。男は木の、板のような寝台に腰掛け、来訪者を迎えた。……敵意を剥きだしにした視線で。
「ラキリム」
 と、エクレイドは、なるべく平易な調子で呼び掛けた。
 男の返事は、ない。
「きみの希望通りの人物を連れてきたよ。……つまり、我らが騎士長、リチアルド閣下だ」
 彼女がその名を口にすると同時に、男の表情が変化した。
 無言で見詰める壮年の騎士の顔を、まるで目の中に吸い取ってしまおうというほどに凝視する。ゆっくりと、肌の色が蒼白に染まっていった。
「……おまえが、リチアルド」
 震える唇を、彼はそう動かした。
「いかにも、そうだ」
 騎士長が答える。その瞬間。
 獣のような喚き声を上げて、ラキリムは彼に飛びかかった。
 咄嗟のことに、エクレイドは驚いた。男の気が触れたのではないかと思ったのだ。縛られたラキリムの腕が騎士長に達する寸前で、彼女は彼の足をとって床に払い倒した。
 首根を押さえて、身動きを封じるエクレイドの下で、ラキリムは叫び続けた。
「呪われろ! 神の僕を騙るこの獣め! 深淵ロブナの底に落ちるがいい!」
 冒涜の言葉を吐き並べて止まない彼に、さしもの女騎士も閉口した。若々しい少年じみた顔をしかめて、騎士長を仰ぐ。
「手が付けられないな。どうします?」
 騎士長の答えは簡単だった。任務にあたる際の、威厳ある、彫像のような面持ちを完全に貫き通して、彼は命じた。
「放してやれ」
「は?」
「縄を解いて、その男を座らせてやれ、タート」
 改まった呼び掛けに、彼女は騎士長が演じようとしている役柄を察した。まだもがき続けている男を引きずり上げ、寝台に座らせると、おもむろに帯びてきた剣を抜く。
 腰を浮かせる間も与えず、銀の閃光は垂直に男の眼前を滑り落ちた。
 その常軌を逸した速度に、男の髪が逆立つ。
 刃根元が鞘に納まる小さな音と同時に、男の手首から、死んだ蛇のように縄が落ちた。あれだけの速さで振り下ろしていながら、床には傷一つつけていない。
 息も乱さず一礼して脇にさがる若い騎士の姿を、ラキリムは化け物でも見るように見詰めた。エクレイドはその気になれば、いくらでもそれらしく振る舞うことができるのだった。
 度肝を抜かれて硬直した男の前に、リチアルドが立った。彼は剣の柄頭に手を置き、むしろ尊大ともとれる態度で、問うた。
「さて、ラキリム。おまえは、私を父の敵と言っているそうだが、それは一体どういう訳だ?」
 ラキリムは一瞬、全身を固くして寝台を立ち上がりかけたが、二人の騎士の存在に威圧されたのか、唇を噛んで腰を落とした。代わりに、滴るような憎悪を込めて、彼は答えた。
「父の名を知らないとは言わせない。十五年前、俺の家に殉死の報せを持ってきたのは貴様なんだからな。父ルーテッドは貴様に殺された。それなのに貴様は、ここで騎士長となり閣下などと呼ばれ……!」
「ルーテッドのことならば確かに記憶している。彼は優秀な騎士で、善良にして忠実な神の僕だった。だが彼の死は、あのときに報告したとおり、邪悪なる賊徒との戦闘によるものだ。責は咎人に帰するべきであって私にではない」
 リチアルドは、書斎で見せた苦渋など幻であったかのように、冷徹に言い放った。
「嘘をつけ! 俺は、全部知っているんだぞ!」
 いきりたったラキリムを押さえ付けるような眼差しを注いで、騎士長は決めつけた。
「ラキリム。おまえにそのようなことを吹き込んだのは誰だ?」 
 男は息をのみ、口を噤んだ。リチアルドの重ねた問いは、何処までも沈着で冷静だった。
「おまえも言った通り、ルーテッドの死から十五年が経っている。何故、今頃になって私の元へやって来た? 以前から父親の死を疑っていたのなら、何故もっと早く私を告発しなかったのだ? ……それは最近になって、何者かが彼の死に疑問をさしはさんだからだ。おまえの心に、それを植え付けたからだ」
「何を……!」
「言うのだラキリム」
 騎士長の命令は、枷のようにラキリムの反論を封じた。
「おまえにそれを告げた人物は、ブラッソンと名乗りはしなかったか?」
「名前など、知らない……」
 呟いてしまった後で、ラキリムは己が過失を悟った。唇を引き結び、壁のほうに顔を逸らす。
 ややあって、彼は悔しそうに話し出した。
「俺は聞いたんだ。十五年前に父を殺したのは実はおまえだったのだと。おまえは、父と一緒に追っていた盗賊団と内通していたことを父に知られ、口封じのために父を殺したのだと!」
「馬鹿な」
 思わず、エクレイドは声を漏らした。リチアルドの人柄を知っている彼女からすれば、荒唐無稽この上ない話だった。
 即座に否定の反応を示した彼女に、ラキリムが噛み付いた。
「馬鹿なだと? 何が馬鹿なことだ! 父は……俺の父は、盗賊なんかに後れをとるような人じゃなかった!」
 彼は懐から、黄金色に輝く品物を取り出して彼女らに突き付けた。
「これを見ろ! 彼が、俺に届けてくれたものだ!」
 エクレイドとリチアルドは一様に瞠目した。彼が手にぶら下げたその物体は、彼ら神殿騎士の良く知る品物だった。
 掌ほどの大きさの、金のメダル。ライファラスの神殿章の描かれたそれは、聖籍にあるものならば誰でも持っている、聖職者であることの証であった。
 鎖の先で揺れるメダルの縁に、日付と、名前が刻まれているのをエクレイドは見た。
「彼は、父からこのメダルと、真実とを託された。ライファラスに誓って、自分の言葉は真実であると言ったのだ! 神殿騎士ルーテッドを殺したのは騎士長リチアルドだと!」
 リチアルドはメダルに記された名前を見取ると、悼むように目を閉じた。それはごく短い時間のことで、彼はすぐに重々しい態度を取り戻した。
「確かに、これはルーテッドの物だ。十五年前、彼が賊徒に奪われたものだ」
「何……」
「これを見ろ」
 彼は、一通の書状をラキリムに差し出した。先刻、書斎で彼が相対していたものだ。ラキリムは、不審げな表情を露にしていたが、結局、それを受け取った。
 文面を追ううちに、彼の顔色がはっきりと変わった。
 手が、ぶるぶると震えだした。彼は書状を寝台の上に投げ出した。
「嘘だ……」
 エクレイドは、状況も掴めぬまま、彼を見守った。騎士長が目線で促したので、彼女は放り出された紙を取り上げた。そこには、こう書かれていた。
『十五年前、騎士タートルーテッドを殺害、行方知れずになっていた盗掘者、ブラッソンを当地にて発見。不穏な動きを見せている由、貴下への報復を目論見しゆえと推測される。かまえて御注意のほどを……』
「先刻、私の元に届いたものだ」
 騎士長は言った。
「調べたければ、そうしても良い。神殿章の経緯も、彼の死のことも、記録に残っている。その彼とやらがおまえにそれを届けたということが、全てを明確にした。当時ルーテッドと私が追い、捕らえられなかった相手が、生きて再び現れたということだ。奴はおまえを利用したのだ」 「……嘘だ……そんな」
「おまえは利用されたのだ」
 リチアルドは断固として繰り返した。
「おまえを焚きつけ、私を告発させて時間を得ようとしたのだ。殺人の嫌疑をかけられては、私とて自由の身ではいられなくなる。例え、それが僅かの間に過ぎなくともだ。さしもの奴も、おまえの告発がこれほど直接的なものとは思わなかったのだろうが」
「だが……神にかけて誓うと……」
 弱々しい反論を、騎士長は、哀れみをこめた声音で打ち砕いた。
「ブラッソンは罪を犯し、人を傷つけることを歯牙にもかけぬ男だ。神を信じず、軽んじてやまぬ人間の誓いに、どれほどの重みがあるというのだ? 奴は神名を汚すことに、喜びすら覚えるだろう」
 書状を手に、事の推移を見詰めていたエクレイドを、リチアルドが振り返った。
「タート・エクレイド、すぐに隊を組織して出発する。奴の居所は、既に目星が付いているのだ。きみには、私の副官として同行してもらいたい」
「わかりました、閣下。しかし、手が空いているのは今十名余りだと思いますが?」
「構わん。全員を招集しろ」
 そんなやりとりを交わしながら扉に向かう二人に、ラキリムは立上がり、苦しげな声を放った。
「待て、リチアルド! それでは……それでは貴様は、本当に父を殺してはいないのか? 貴様は神にかけて誓えると、それが信じられるというのか!」
 エクレイドの前で、騎士長は立ち止まった。
「私は法と真実の神ライファラスの騎士だ。そうであることを放棄するくらいなら、私は、生きることを止めるほうを選ぶ。私は、ルーテッドを殺していない」
 彼は振り向いて、静かに、ラキリムの燃えるような瞳を見据えた。彼は言った。
「しかし、それは真実の全てではない。おまえの聞いたブラッソンの言葉に一片の真実も含まれていないと言うこともできない。私はルーテッドを殺してはいない。だが、奴の刃が彼に振り下ろされるための原因があったのだとすれば、……それは間違いなく、私だ」
 騎士長リチアルドは懲戒房を後にした。
 凍りついた男の姿を視界の端にとどめ、エクレイドはそれに従った。
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