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アンフロンスの双璧
The matchless twin stars of Annfronce
――計画は完璧だったはずだ。
『野良犬』バーセルは思った。本当ならば彼は今ごろ、腕いっぱいの略奪品とともに、己の住処で悠々としているはずだったのだ。
だが、現実はそうはならなかった。バーセルは暗闇に沈んだ木立の中、ただ立ちつくしている。
一年の終わり、神々の意識が現界より離れ、完全な休眠におちるという〈讃霊祭〉。古い年と新しい年を繋ぐこの祭りの五日間は、あの忌々しい神殿騎士どもも儀式やその準備で忙しくなる。なにより、やつらの厄介な『術』は、神々の眠りとともに年明けまで力を発揮しない。自然、神殿の警備が手薄になるのだ。
バーセルは、地方の街道を荒らす追い剥ぎの、とある集団を取り仕切っていた。活動歴もちょっとしたものだ。この時期、自分の縄張りで起こる出来事は、あらかた把握している。
祭りの目玉といえる最も盛大な儀式は、それぞれの地方の大神殿で行われる。この近辺で言えば、アンフロンスの慈母神大神殿だ。新年が近づくにつれ、そちらに集まる聖職者や群衆は増えてゆき……他の小さな、特にアシリー神殿にこもる人数は少なくなってゆく。自明の理だ。
そのうえ、今年はこんな情報まで舞い込んできた。アンフロンス在駐の神殿騎士長が、祭りの期間中、特別な用事で東のヒュテリア運命神大神殿へ出かけるというのだ。もちろん、ごっそりと取りまきを連れて。
この機会を逃す手はない。バーセルの決断は素速かった。手下どもを呼び集め――総勢で三十余名ほどになる――アンフロンスから離れた場所の中でも、比較的裕福な神殿を選んで、襲撃の計画を進めた。
聖域を侵す罪を怖れるような腑抜けは、彼の仲間たちにはいない。讃霊祭三日目の夜、打ち合わせにそって神殿略奪は決行された。腑抜けた神官や修道士を叩き斬って、修道女を引っさらい……万事思惑通り。
の、はずだった。
――計画は完璧だったのだ。
手勢を二手に分け、神殿の外壁を取り囲むように広がる木々の間へ夜陰に乗じて滑り込み、そして、あの二つの人影に出くわすまでは。
「『野良犬』バーセル、だな。銀貨五百枚の賞金首。街道筋を狩り場にする、野盗どもの首魁」
そう言い、闇に溶けそうな深緑の瞳を細めて、手にした抜き身の剣をすう、と撫でたのは、長い白金の髪を緩く束ねた、人目をひく美貌の持ち主だった。年齢も性別も、どこか判別しがたい雰囲気があるが、背格好と声の低さからして間違いなく男だろう。
「会いたかったよ、バーシィ。よくもこれまで、我々の捕縛の網をかいくぐってきてくれた。その抜け目のなさとしぶとさに敬意を表して、めでたい祝祭の最中に、こうしてもてなしなど用意してみたわけだが。気に入ってもらえただろうな?」
親しげに語りかけながら、彼は優美な輪郭を備えた唇を歪めて、笑った。ぞくりとするような危険な微笑に、もう一方の人影が、のんびりと言葉を被せる。
「あー……、なるべく速やかに武器を捨てて、諸手を挙げて降参することをおすすめするぞ。我が女神の教義では、他者の生命を奪う行いはできるだけ避けるべしとなっているし、俺たちも立場上、それには従いたいのでね。……なるべくは」
優男のほうをちらりと一瞥しながら、彼は言った。連れよりは体格がよく、多分若い。やや癖のある、短い焦げ茶色の髪をかき回しながら、やはり抜き身の剣を杖がわりにして寄りかかっている。
彼らの周囲には、累々と、叩きのめされたバーゼルの仲間たちの身体が積み上がっている。
――二十人近くいた手勢は、いまやそろって大地に倒れ伏し、苦痛の呻きで下生えを揺らすばかりだ。
たったの数瞬。誇張なく、ほんの数回瞬きする間に、忽然と現れたこの二人きりの障害が、バーセルの計画を滅茶苦茶にしてしまったのである。
かすかにさし込んでくる月の光が、相対する男たちの面貌とともに、身なりをも明らかにしていた。裾の長い上着とマント。そのこしらえと、色!
神殿騎士だ。バーセルは確信した。緑色は、アシリー女神の象徴色。仕事のたびに慎重に避けてきた騎士服を、見紛うはずがない。そしてもうひとつ、彼らが有する共通の特徴がある。
鞘を払った、まったく同じ型の片手半剣。いかにも重たげな、厚い幅広の剣身。
それに気づいたとき、彼はひゅうと喉を鳴らした。その剣の話は、聞いたことがある。使い手の話も、また。
「――『アンフロンスの双璧』!!」
街道の野良犬は悲鳴をあげた。アシリー神殿副騎士長にして、騎士貸与剣〈
我が敵を阻み給え
(
ローラ・アンセム
)
〉の拝領者。
名誉ある二つの肩書きを同時に、同様に所有する二人の男の噂は、アンフロンスに住まうものなら誰でも知っている。
騎士長の腹心にして懐刀、秩序と信仰の守護者として、並び立つ最強の二人。白金の髪に緑の瞳のゼイカム。鳶色の大男ログアッシュ。
罠に落ちたのだ。悟ったときにはすでに、何もかもが遅すぎた。
「私がおまえの面前に立つまでを、選択の時間としてくれてやろう。武器を捨てて大人しくアシリーの縛縄を受けるか、それとも騎士剣の刃を濡らす露となるか」
美貌の騎士が問うた。片目を瞑りながら、大男が続ける。
「……俺なら、ゼイカム殿には逆らわんよ」
バーセルは喘いで、手の中の武器を取り落とした。
「相変わらず、過激な御気性をお持ちで」
追い剥ぎの頭目の身体を縛り上げながら、ログアッシュは呟いた。
『野良犬』バーセルは気を失い、ぐったりと脱力して、彼のなすがままになっている。後頭部にできあがったたんこぶのせいだ。
男の頭部を一撃したローラ・アンセムの柄頭を叩きながら、麗しの副騎士長はにっこりと笑った。
「何か言ったかな、ガッシュ?」
「いいえ、なぁんにも」
うそぶいて、ログアッシュは盗人を地面に転がした。先ほど彼に忠告したとおり、ゼイカムに逆らうことほど無謀で愚かなことはない。何しろ年齢不詳のこの美男子は、『
冷笑のゼイカム
(
ゼイカム・ディオ・リンゲル
)
』と異名をとるほどに、『いい』性格の持ち主なのだ。
それはもう、アンフロンスの住人で、彼に頭の上がるものはいないほど。騎士長でさえ、微笑を浮かべて近づく彼を発見したら、尻をまくって逃げて行くほどの。
脱兎のごとく逃げ出していく中年男の図柄を思い浮かべた反動で、ログアッシュは己の上位者のことが気になった。
「そういえば、騎士長はどうしてるでしょうね」
「ヒュテリア大神殿の聖堂で、敬虔真面目な聖職者の鑑、セル=ラトク殿と二人きり、さぞ尻の落ち着かない夜を過ごしておられるだろうな。祈りの言葉で今ごろ、口が曲がっているに違いない」
いい気味とでも言いたげな口調に、ログアッシュは苦笑した。今回の野盗集団捕縛計画を立案したのは自分だが、詳細を詰めたのはゼイカムだ。周囲がその外見から想像するだろうものとは反対に、彼らの役割は、ログアッシュのほうが頭脳労働派、ゼイカムが実力行使の実行派なのである。
以前からアンフロンス近辺の街道を荒らし回っていた『野良犬』バーセルの一味を、一掃しようと彼らが決めたのは、およそ二週間前の昼時のことだ。
騎士隊の巡回の隙をついて、巧妙に立ち回るバーセルによる被害は、ここのところ度を超してひどくなっていた。新たな被害者が生まれたという報告を昼食の席で受けたゼイカムの目が据わった瞬間の光景は、ログアッシュの記憶に強く焼きついている。
「野良犬の首に縄を掛けるいい方法はないものかな、ガッシュ。『本の虫』と渾名されるその頭の中になら、何か名案が眠っているんじゃないのか?」
読書好きで、いつもどんなところにでも書物を持ち歩くログアッシュに、育ちのよいゼイカムは何かと、呆れた口調で小言を言うことが多かった。そのときも向かい合って食事をとりながら、前王国時代のオレーン人に関する本を読んでいた彼は、同位者の科白を自分に対する嫌味ではないのかと疑ったものだった。
ともかく、やる気になったゼイカムを止めるのも無駄なことなので、ログアッシュは求められたとおり素直に案を練った。特に抜きん出た知略や知識を要するわけでもない、ありふれた囮作戦だ。
まずは、相手を隠れ家から引きずり出さねばならない。野良犬が現れるのは、獲物を襲うときだ。ならば、いかにも美味しそうな獲物を、やつの前にぶら下げてやればよい。
讃霊祭の期間中、神殿全体の警備力が低下することを、彼はついでに利用することにした。野良犬を誘い出すために番犬の数を減らすのも、忙しいこの時期ならいかにも自然だ。
彼ら神殿騎士を統括すべき神殿騎士長に、余所へ出張してもらうことは比較的早く決まった。騎士たちの要の不在から生じる穴は、傍目に見て非常に大きかろう。随身の数が多いのも当然だ。
彼らのぐうたらで不真面目な騎士長タデシュは、副長のこの申し入れを、うきうきと受け入れた。何しろ彼は四十にもなって、規律と儀式とお祈りと、高位聖職者の使命といえるもののすべてを子供のように忌み嫌う面倒くさがりなので、祭の間、大神殿にいるかぎり逃れ得ぬ義務から解放されることを望外の幸運と喜んだのだ。
だが、そこにゼイカムが横やりを入れた。騎士長の滞在先を、問答無用でヒュテリアの運命神大神殿に指定したのだ。
かの場所にはタデシュの同僚であるラスン騎士の束ね、若干十六歳にして神殿騎士長の称号を持つセル=ラトク少年が常在している。彼は何を間違ったのか、騎士としても騎士長としても先達にあたる――当人を含み、アンフロンスの騎士たちに言わせれば先達にあたる『だけ』の――タデシュをいやに尊重し、偉大な聖人に対するように遇しているのだ。
払われる敬意は、もはや尊敬の域に達していると言っていい。
『骨の髄まで聖職者』と謳われるそんな相手のいる場所で、タデシュがのんびりとくつろげるはずもない。彼の心底からの不平も抗議も、しかし、仕事をしない騎士長に代わって実質的に騎士隊を取り仕切っているゼイカムに、くみとられるはずもまた、なかった。
ログアッシュはといえば、何度も言うように、美貌の先任騎士には逆らわないことにしている。
出発の日、小さな従者にせっつかれながら「裏切り者!」と恨みの言葉を投げつけてきた騎士長を、彼は呑気な笑顔で見送ったのだった。自分とて、命は惜しい。
まあ、その騎士長の犠牲のおかげで、彼らはこうしてバーセル以下三十余名の一党を、一網打尽にすることができたのだ。献身は聖職者に求められる最も主要な美徳というし、諦めてもらうしかない。
「さて、向こうのほうはどうなったかな」
転がる野盗の一人を爪先でつつきながら、ゼイカムが言った。向こうとはおそらく、二手に分かれたバーセルの一味の、残りを待ち伏せした味方のことだろう。
ログアッシュは少し考えてから答えた。
「あっちには、六人の騎士と十五人の見習いを置いてますからね。そろそろ、片がついてるんじゃないかな、と」
「怪我人が出ていなければいいが」
何の皮肉も含ませない口調で、ゼイカムが呟いた。ほぼ同じだけの人数を、二人きりで相手にして手傷ひとつ負っていない自分たちのことを、驕るでもない。
ログアッシュは彼に勘づかれないよう注意しながら、唇を緩めた。こういうところがあるからなのだ、と思う。たとえ化け物のように怖れ、怯えるものはいたとしても、結局、彼を知るもののなかに、彼を真実嫌う人間はいない。
ゼイカムは己の基準を他者に当てはめることをしない男だ。拝領者である自分とログアッシュが強いのは当然のことだが、他の騎士たちが同じように振る舞えるはずがないことをよく知っている。それが、部下たちの『当然』であることも。
己が関わらなければいけないものに対する懐の深さは、父というよりもむしろ母親に似て、普通の人間ならつまづくだろう細々としたこだわりから、彼は自由でいる。
だからこそ彼は、普段毒舌をもってきゅうきゅうと締めあげている騎士長を補佐しこそすれ、蹴落として取って代わろうなどとはついぞ考えないのだろう。その資質が充分にあることを、本人も自覚していながら。
「まあ、大丈夫なんじゃないですかね。向こうには弓を用意するように言ってあることだし……」
ログアッシュが言いかけたとき、「副長殿」という声とともに、背後の茂みが揺れた。暗がりから顔を出したのは、『向こう』に配置していた女騎士だ。
「賊徒どもの制圧は完了いたしました。罪人たちは残らず縛につきましたし、怪我人もおりません」
「ご苦労、タート・ラトナー」
ゼイカムからねぎらいの言葉を受けた女騎士は、律儀に頭を下げかけて、ぱちくりと両目を見開いた。禁欲的な面が純粋な畏敬の色に染まる。
「さすが、お二人とも、お見事な腕前でいらっしゃいますね」
伸びている盗賊たちが、誰一人血を流していないことに対しての称賛だろう。この男どもには罪の償いとして、血を流す余裕もないほどに汗を流してもらわねばならないのだ。それが、アシリー女神が信徒に求めるところでもある。
「さてさて、騎士剣を抜いた拝領者が、そんなことばかり巧くなってどうするのやら」
「あはは、まったくもってその通り」
肩をすくめるゼイカムに、ログアッシュは手を打って同意してみせた。だが、騎士剣のその力ゆえに、血を流さずに終える戦いがいかに難しいものかを、彼らは知っている。
アシリー神殿の騎士剣は、ただ強いだけのものには与えられない。自他さまざまなものを、守る戦いができるものでなければならないのだ。
その意味で、アンフロンスの双璧は兄弟のように似ていた。分かちがたいものをともに背負った、二人なのである。
互いに通じる感覚をこそばゆく思いながら、ログアッシュは首の後ろで腕を組みことさら晴れやかな声をあげてみせた。
「ま、何はともあれ、これで我々も心静かに新しい年を待つだけってことで」
「そうだな」
和みかけた空気の中、呻き声をあげて上体を起こそうとした盗賊の、頭を蹴っ飛ばして黙らせ、美貌の筆頭副長は言った。
「使命は完遂された。――では、我らがぐうたら騎士長閣下に、迎えの使者をさしあげるとしようか」
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