− 1.従魔ファーゼの証言 −
おれの先生は、とてもうつくしい人だ。
はじめて見たとき、「何で年寄りでもないのにあんなに白いんだろう」と思った髪は、ちょっと注意すれば、白に近い、とても薄い金色なのだとわかる。光にあたると、清い水の表面のように、きらきらと輝くのだ。
その白い髪が落ちかかる額はやっぱり白くて、でも、作り物なんかではない証拠に、うっすらと流れる血の色が透けてみえる。淡い肌色。
眉間から鼻にかけての線は、触れるのが怖いくらいに整っている。……といっても、もちろん、触れさせてもらえることなんてめったにないのだけれど。
唇はほんの少し薄い。本当にたまに、先生が笑うとき、そのときはとてもきれいな弓形になる。でも、いつもは、山のような形に引き結ばれている。眉間にも、皺。
立っているときの姿が好きだ。背を伸ばして、心もち胸を反らして他人を見据えると、すらりとした体つきが、いっそうきわだって、ものすごく絵になる。
逆に、座っているときは、行儀が悪いので、子供のいたずらで変なポーズを取らされた高価な人形みたいに、妙に惨めっぽくなる。まあ、それだって先生はまったく気にしないし、この人がうつくしいことに何ら変わりはないのだけれど。
先生はとてもうつくしい。
特に、その、眸が。
夜空をくりぬいたような深い深い青色が、ときおり瞬きながら、おれを見つめる。そうするとおれは、一切身動きができなくなってしまう。
……出会った最初のとき、おれはあれを、何かの宝石なのだとずっと思っていた。
欲しいと思った。だから奪おうとしたのだけれど、届かなかった。
いらいらして、おれは先生を傷つけた。染みのひとつもない、降ったばかりの雪みたいな色をした額に、醜い傷をつけてしまったのだ。
そのとき、ぱたぱたとしたたる紅い血をちょっと両目を寄せて見つめ、先生はふんと鼻を鳴らした。
「おまえ、餓えてるな」
それが、おれが初めて聞いた先生の言葉だった。
先生はぐいと腕を伸ばし、おれの首根っこを掴んだ。びっくりして暴れるおれを、押さえつけて、そして、不思議なもので包み込んだ。
膜だった。薄い紫色の、空気の膜。
それは、どこか懐かしい匂いがした。おれの身体の深いところが、徐々に満たされていく暖かい感覚。
――ああ、おれは餓えていたのだ。
「聞こえるか、〈異界の客人〉」
先生は、はじめて聞く呼び方で、おれに話しかけた。いつも、出会う人間からは、おれは
『まもの』
という、何だか嫌な響きでしか呼ばれたことがなかった。
「おまえの住んでいた世界は、勝手にこの世界にぶつかってきたあげく、もうとっくにどこかへ行ってしまった。おまえはここにとり残されたんだよ」
何だか、切なく感じる言葉を、先生は吐き出していた。そこでおれはようやく、このひとが、他の人間たちと違って、おれにもはっきりと理解できる声を発していることに気がついた。
それはとてもおかしなことだった。話している言葉は、他の人間とかわらないのに。
「この世界の空気は、おまえには重い。うろうろすると、辛いだろう。ひどく腹が減るだろう。……頭がぎりぎりと、痛くなるだろう」
まったくそのとおりだった。この暗い森だらけの土地に放り出されてから、身体が重く感じられるし、目に付くものを何でも口に入れようかと思うほど腹は減るし、頭がぎりぎりすると、周りにある何もかもを壊してしまいたくなった。
「俺はおまえを助けてやることができる。おまえを、おまえの世界の空気に満ちた場所へ閉じこめるという方法だが」
先生はそこで、薄い唇を歪めた。
「……選ばせてやる。どうする? 俺と闘って俺を殺すか、もしくは殺されるか。それとも、俺に閉じこめられるか」
自分の科白が冗談ではないことを教えるように、先生からたちのぼる気配は冷たいものだった。
だけど、おれが惹かれたあの目は、どこか寂しげだった。
……おれは、一緒にいたい、と言った。
いつのまにか、このわけのわからない土地で暮らさなければならなくなってから、おれはたくさんの人間の群れを、人間を見てきて、その習性や老若、雌雄の見分けかた、臆病さ、はたまた狡猾さや恐ろしい残虐性をずいぶんと学んだつもりでいた。
けれども、目の前のこの存在は、今まで出会ったどんな生き物とも違っていた。
なぜならこの人はきっと、おれと同じ星を知っている。夜空のひとみに宿っているのは、長い長い孤独な夜、いつもおれが見あげていたのと同じ、群れをはぐれてぽつんと瞬く、切ない一つ星の光だった。
乞い伏すおれの願いを聞くと、先生は、ほんの少し目を見張って、そうか、と呟いた。そして、うつくしい顔が、かすかに表情を変えて、唇が微笑んだ。
なぜだかおれは、そのとき一瞬、
「この人は泣くのかな」
と思ったのだけれど。
先生は、「なら、一生大事にしてやる」と言って、おれを安らぎに満ちた、揺りかごのような殻の中に閉じこめた。
あとから先生にいろいろ聞いたところによると、先生は『魔物捕縛師』というものをやっている、人らしい。
おれのように、頭をぎりぎりさせて暴れている〈異界の客人〉を、とらえることが仕事だ。
そんなことができない普通の人間からは、『先生』と呼ばれている。
おれはそれに倣うことにした。
魔物捕縛師は、〈異界の客人〉を、おれたちの世界の空気と同じものでいっぱいになったせまい場所に、閉じこめる。そこは固い殻に覆われた、本当にせまい場所だけれど、すぐに眠くなるので苦しくはない。
先生は、客人を押し込めたそれを、〈卵〉と呼んでいる。
おれがそこに閉じこめられたことは、はじめのとき以来、数えるくらいしかない。普通の人間がいっぱいいて、おれを見ると怖がるような場所に行くときだけ、先生は卵におれを匿う。
普段は、先生はおれを本当にそばに置いてくれている。どうやら先生が、おれに必要な空気を作りだして、いつもおれに注いでくれているかららしい。
いつもそんなことをしてばかりでは、苦しくないのかと思うけれど、先生はとても『優秀な』人らしく、
「おまえ一人養うくらい、へでもない」
そうだ。
何だかよくわからないけれど、いつでも先生のそばにいられるのは嬉しい。
おれは先生の仕事に、いつもついていく。
頭をぎりぎりさせたおれの同胞たちは、ときどき本当におかしくなってしまっていて、先生の言葉に耳を貸さないやつも多い。たいていはそれでも、先生が強引に閉じこめてしまうのだけれど、なかにはものすごく暴れて、とてもそんなふうにできないのもいる
そういうとき、先生はためらわず、そいつにとどめを刺す。
そうするときの先生は、自分が傷ついたみたいな顔をしていることがある。
……何でみんな、おれみたいに、先生に「一緒にいたい」ってお願いしないんだろう。
いつだったか、おれが訊いたとき、先生はおれの頭を撫でながら、ちょっと笑って言った。
「あれは誰でも、誰にでも、言える言葉じゃないんだ」
おれはそれを聞いて、とても誇らしくなった。ほんのかけら、他の奴らに……とりわけ、先生にとどめを刺されていく奴らに、悪いという気持ちもわいたのだけれど。
先生はうつくしい人だ。
はじめて会ったときとは違って、今はおれがつけてしまった傷が額にあるけれど、それでも先生はきれいだ。いつもむっつりしていることが多いけど、ごくたまに、とても優しく笑って撫でてくれることもある。
そんなとき、おれはものすごく幸せだ。
『一生』というのがどのくらいの長さなのかというのはわからないけれど、『大事』というのがどんなことかはわかる。
先生が行くところ、おれはどこでもついてゆく。
先生が戦うとき、おれはいつでも先生を守る。
だって先生は、おれの『大事な』先生なのだから。