城門前広場 > 領地への門 > 大広間 ― 『オルタリク家』01.親子
オルタリク家


01.親子





 セオドールは、彼らの『親父殿』に拾われた、最初の子供だ。

 オルタリクの城は王国の辺境、忌まわしき〈死者の森〉へと続く、枯れ野の真中にある。
 一帯の領主であるウォーレスは、この境界の見張り役を自らに任じており、日に一度は必ず、不気味な暗闇樅の生い茂る森の陰を、鷹のように鋭いまなざしで、睨みつけながら駆ける。地底の王ビルメルに囚われた呪われし生きものたちが、王国の生あるものたちを脅かしはしないかと常に気にかけている彼は、敬虔な天上の王フロワルの信者でもあったのだ。
 家臣も連れず、唯一の供である鹿毛の愛馬にまたがるのみで野を行く、そんな領主の灰色の騎馬姿は、変わりものよと囁かれながらも、土地のものに愛された。彼の質素で無骨なまでの暮らしぶりは、領民を少しも苦しめることがなかった。愛妾のひとりも持つことをせず、どころか、齢四十に届かんとするまでになって、ウォーレスは妻さえも娶らぬ孤独な騎士だった。

 セオドールが城へやってきたのは、近隣の村々で、長く独り身を貫いている領主の、後継の不在を案ずる声がささやかに高まりはじめた矢先の出来事である。
 ある日、いつもの見回りから帰還したウォーレスは、霧に湿るマントの下から、思いもかけぬものを引っぱり出して、城中を騒がせた。不安げな顔をして、騎士の胸にしがみついていた、痩せた子供。それが、セオドールだ。
 そのとき彼は、まだ、片手の指にやっと足りるかという歳の幼子だった。だが、生みの両親の顔をとうに忘れてしまっても、勇ましい養父との出会いだけは、よく覚えている。

 セオドールは、早くに親を亡くした子供だった。詳しいいきさつについては記憶に定かではない。ただ、気がついたときには、生家を離れて旅をしていた。
 とはいえ、真実それが旅といえるものだったのかは不明だ。なにしろ、彼は己の家がどこにあったのかなど覚えてはいないし、道行きの途中で、彼を連れていた男は、死んでしまったからだ。
 正確に言えば、男は殺害された。老い枯れた野木を、かきわけるようにして通る、古い街道の上で、地底の王の呪われし虜によって殺されたのだ。
 冬という季節もあって、路傍でのたれ死んだものの姿を目にするのは、何ら珍しいことではなかった。セオドールを引きずって行く男も、哀れな死者に出会うたびに舌打ちしながら先を急いだものだ。
 おりしも空は厚い雲に陰り、大気はしんと冷え渡っていた。おそらく、雪の降る直前だったのだろう。男は外套の前をかきあわせ、その日何度目かの怒鳴り声をあびせようとセオドールを見おろした。そして、そのままぎょっとしたように凍りついた。
 男のブーツの踵を、蒼白い手が掴み締めていた。道ばたに転がっていた、凍死者の手だった。握られた靴の皮が、ぎりぎりと音をたて、それを合図に、すでに命を失ったはずのものは、緩慢な仕草で起きあがった。男の悲鳴が、長く尾を引いて荒野に響き渡った。
 死人は、あっという間に男を己の同胞の列に加えてしまうと、続いて、目の前で起きた出来事に声もない、セオドールの始末に取りかかろうとした。その青ざめた肉体にとって、地べたで震えるばかりの少年を片づけることなど、あまりに易しい仕事だったに違いない。次の瞬間、奇跡のように、ウォーレスさえ現れたりしなければ。
 灰色の疾風となって登場した騎士の輝く剣に、首をはねとばされた死人は肉に還り、セオドールは固い膝のうえに軽々と抱えあげられた。高い鞍上で彼が見たものは、己を救ってくれた人物の、男らしい顔に宿る憐れみの表情と、その肩越しに広がる、陰鬱な静寂に包まれた不気味な森の影だ。

 後にセオドールは、養父の耳目であるロディから聞いた。彼を連れていた男は、たちの悪い人買いであったらしい。
「だからね、坊ちゃんは何重にも運が良かったんですよ」
 ロディの言はまったくそのとおりである。ウォーレスは出自の知れぬ彼の命を救ったのみならず、死者の森を見つめて強張る瞼を静かに閉じさせ、小さな身体を大事に懐に抱え込み、自らの城へ連れ帰った。そして、騎士が与えたものは、温かい寝床と食べ物にとどまらなかったのだ。ウォーレスは彼を、そのまま、己の姓を分け与える息子にしてしまった。
「『生涯伴侶を得ぬ』だなんて、フロワルに誓ってしまわれた方ですからねぇ、殿は」
 城付きの家臣の中で、最も歳が近かったせいか、よく彼の遊び相手も務めたロディは、主の『子供たち』が増えるたびに苦笑しながら言ったものである。
「人一倍情の深い性分でいらっしゃるのに」
 セオドールはうなずく。はじめて腕に抱かれたあの冬の日の、優しい手のひらの感触は、成人した現在になっても、彼の魂を温めてやまない。ウォーレスは多くの誓いを抱えた男で、余人には知り得ぬそれらを守るために、日々休むことなく領地を馳せ続ける。ゆえに留守がちであり、なかなかに触れあうことのできない無骨な生きかたを、弟妹たちは寂しがることも多かったが、それでも、彼らの養父は誰よりも愛情深い父親だった。
「親父殿も、お寂しかったのだろう」
 いったいどんな義務のために〈死者の森〉を監視しているのか、寡黙な父が語ったことはなく、彼はそれを推し量ることしかできない。だが、背負った重荷を支える存在が、――家族が、ウォーレスの心には必要だったのではないか。
 自分たちを拾った理由や意味が、どういったものだろうとかまわない、とセオドールは思う。彼にとって養父は、偉大な英雄だった。救い主だ。その人に恥じない命であろうと生きてきた。自分を息子と呼んでくれるその人の、役に立ったというのなら、たとえもう用済みだと、今ここから放り出されたとしても、それでいいのだ……。
「また、そんな、不器用なことを。まったく、坊ちゃんは本当に殿そっくりに育っちまって」
 しかし、忠実な家臣であり誠実な友でもある青年は、そんなセオドールの想いを器用に笑い飛ばすのだ。
「知ってるでしょう。殿が一度口にしたことを、絶対に曲げたりしないってことは。坊ちゃんもお嬢さんも、あのお人が一度自分の子供と呼んだからには、何があったってもう、ずうっとそうなんです。……違いますか?」
 セオドールが拾われた年の頃には、すでにウォーレスに仕えていたというロディの言うことは、いつだってもっともで、正しいのだ。
 だから二度と同じ馬鹿げた言葉を吐き出すことも、うっかりそれを耳にした不運な家族を、戸惑う羽目に陥らせることもなく、セオドールは今日もオルタリクの長兄として、父の不在を無事に守って暮らしていられる。父の代わりに城内をまとめ、父の代わりに弟妹たちの面倒を見、父の代わりに領民たちを導いて……。
「もう立派な城主だ」
 堅実でたゆまぬ努力を知る人々は、近年では彼をそう評する。だが、自分がそんなものではないことを、セオドールはよくわかっている。

 ――もしもウォーレスが戻り、父自身の望みのために自分を必要にすることがあれば、一言「ともに来い」と命じられれば、彼は瞬きの間の躊躇いもなく、すべてを投げ出してしまえるだろう。何もかもを、うち捨てて往くだろう。

 だが……。

 もはや日課となった城内見回りの最中、胸壁の上から、荒れ野に白く伸びる街道に、いつ現れるか知れない慕わしい騎影を、つい探してしまいながら、セオドールは己の空想を、浅く笑う。
 今はただ、親父殿の帰るべき、そして何より、愛する家族たちの暮らす、この家を守ることこそが彼の喜びなのだった。
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